それはまるで訃報を伝えるような報道だった。そしてその報道の仕方は正しかった。

確かに予感はあった。

残念ながら、世の中には、先の見える人間と、まったく先の見えない人間とがいる。先の見える人間にとって、その先に見えるものが勝利であれ成功であれ、逆に敗北であれ、失敗であれ、それを伝える術がないという歯がゆい事態は同じだ。

その時「こうすれば」絶対その危険から逃れられたのに、何故............

その時、そう決断すれば悲劇が歓喜に代わっていただろうに、何故......
人生、そんなことの連続だ。それを、分かっている人間にとって、そのことを伝える術を持ってないと言うことの方が不幸だ。伝わらないと言うもどかしさ.......どうせ伝わらないのなら、それを気付かせた神を恨む。

NAKATA は、4年前から今の日本代表に何が足りないのか気付いていた。そして、何をすればそれを打開できるかも知っていた。W-Cup出場を決める前も、直後にも、それを仲間に伝え続けた。

でも、基本的に無理なのだ。

相当なインテリのキャプテン宮本でも、今回のW-Cupが驚くほどの進化を遂げていて、ボール扱いのスキルは勿論、フィジカルと精神的タフさは、嘗ての呈ではないことに気付くことは難しかったろう。

鋭いイメージと感性で、その現場を先取りできていなければならない。現場で気付いても手遅れなのだ。W-Cupで活躍している優れたプレーヤーには、例外なくこういったイメージの先取りの素質が備わっている。

ゴールは、いつでも蹴る前に決まっている。

(韮崎高校当時)
いつも自分の基準を世界に置いているかどうか・・・・人間のスケールはそれで決まる。

どこにでもいるサラリーマンのノリでは、世界で戦えない。

世界で押してやっていくには、日本の出自である歴史を含め、世界のトップ水準がどうかを測る尺度を持ち合わせていなければならない。そのための資質と努力は当たり前に必要となる。

特に島国日本では、世界(ヨーロッパ&南米)の水準を肌で感じることは難しい。そのハンディーを知性と感性で修行僧のようにイメージトレーニングするしかない。それをし続けた人間が中田英寿だ。

今回の突然の引退宣言を、かみさんの二階からの叫びで気付かされた時、これは全日本中田の憤死だ!と直感した。そして今、1970年の三島由紀夫の自決にも似た美学を感じる。
      
(ベルマーレ入団)       (ペルージャ入団)
でも、正直ホッとしている自分がいることも確かだ。

『....子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった』....(nakata.net より)

僕も同じ様な体験をしたことがある...........

鎌倉彫の修行中、寸暇を惜しんでスケッチを繰り返した。

「あの山並みの稜線は、そして、その背景の色は何色だろう?」
「薄い紫掛かったグレーに、若干群青とピンクを混ぜたらどうだろう....」
景色に感動する自分を抑えて、とにかく客観的に事物を見るよう強いた結果、そこには嘗てのように四季折々の自然や、名もない野の花に感動していた自分はなく、とにかく徹底した遠近法による描写を貫徹しようとする冷徹な「プロ」になろうとしていた自分がいた。

「いい景色だな〜」と感じる自分を発見する瞬間、既にその情景を分析している自分がいた。それは、最早感動を越え、ただの視覚でしかなくなっていた。

そして、徐々にそういった描写法が、自分をスポイル(疎外)している事実に気付いていった。

ある時、「確かに遠近法という科学的な描写は、現在のところ最も優れた描写法かも知れない。でも、瑞々しい自分の感性が損なわれるなら、そんなもの自分にとって必要がない!」とこの描写法に決別した。「絵」を愛するがゆえ。
すべてのことには、始まりと終わりがある。

中田の全日本代表という幕は下ろされ、そして、その旅は終わった。

でも、「今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど、サッカーをやめることは絶対にないだろう(nakata.net より)」という本人の言葉にあるよう、彼は心底サッカーをすることの深い深い喜びを取り戻すことだろう。
これは、何をおいても祝福すべきことだ。

人生は、まだまだ長い。中田英寿にとって人生とはこれからだ。今後の彼の人生を暖かく見守りたい。

そして、ありがとう!  (2006.704)nakata.net はこちら>>>