中原中也」のこと   
 

 先日、NHK教育20世紀の巨人「中原中也」を観た。期を同じくして月刊誌「ユリイカ」が、NHKで放映された内容と重なる特集を組んでいた。それは、中也が息子(文也)を亡くした後、彼が精神的ダメージを受け、千葉県の中村古峡記念病院に療養した際、治療の一貫として書かされた日誌が発見され、その新しい資料としての「療養日誌」を紹介するものだった。

中原中也 file index
「中原中也」のこと
小林秀雄
 長谷川泰子 
盲目の秋
梅雨の晴れ間
春の予感
中也詩椀 
 
   
  そういえば僕が鎌倉彫の修業時代(25年前)、毎朝八幡様の横の寮から材木座海岸・由比ヶ浜、そして、段葛を抜けて八幡様の境内の一の鳥居までジョギングをしていた。その際6時半頃、切れのいい歩きで散歩をしている小林秀雄によく会った。

「こいつが、真夜中日本刀で彼の頬をたたき凄んで見せた強盗を枕元に座らせ説教をし、後に菓子折を持って謝りに来させた男か。中也の愛人長谷川泰子を奪った奴でもあるんだな。」などと、いろいろ思い浮かべたが、本人を目の前にすると無理もねえなカッコイイもんと、変に納得したりもした。
 段葛横には、中也が息を引き取った清川病院もあり、昭和に開花した文学がとても近く感じたものだ。
 
   
  僕自身は、中也の詩を大人の童話として読んできた。それは、中也にまつわるイメージが暗く、悲しいルサンチマン云々と流布されているように感じていたので、必要以上に斜に構えた中也像から離れたいと言う欲求があった。それは、中也の詩を最初に読んだ時、恋人を親友に奪われたり、最愛の我が子を病で亡くしたり等々、彼にまつわる様々な不幸な出来事を僕自身知らずにいたが故に感じ取れたもののなかに、とても重要なものがあると直感したからだ。中也の詩の文脈からは、深い諦観は感じられるものの、決してただ暗く切ないものばかりではなかった。

中也は、彼の内面にある「言葉にならないもの」を、敢えて言葉によって表現しようとした故に真の詩人であると言えるのではないだろうか。

 隣町が鎌倉なので、ときたま出掛けた時「ここが、中也がほろ穴に向けて虚しく空気銃を撃ち続けた寿福寺で、あそこが、入院した中也を冷遇した病院だ」と教えてくれた登校拒否をして学校をさぼりながら中也の詩を読み耽っていたという同僚を懐かしく思い出す。そう言えば彼も小さい頃神童と呼ばれ、大学受験に失敗した後、この世界(鎌倉彫)に入ったと言っていた。

 また中也を読んでみたくなった。
 
 

    春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは・・・・・・
菜の花畑で吹かれてゐるのは・・・・・・
赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑で眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走つてゆくのは、自轉車々々々
向こふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて・・・・・・

薄桃色の、風を切つて・・・・・・
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲
__赤ン坊を畑に置いて

  (中也)