へったクソで、やってらんね~よっ.............

大学までサッカー部を続けて欲しいな~と思っていた(入試の時、大学や学部は、何処でもいいから、サッカーにさえはいれば OK とも思っていた)。

全国大会を目指して、12年もボールを追いかけて来たんだから無理もないな・・・と息子がクラブを止めたことを知ったのは、去年の秋だった。

スポーツを本気でやったことがある奴なら、レベルの違う相手と本気でゲーム出来ないことはよく分かるはず。。。。分かっちゃいたけど、ちょっぴり寂しかったかな。
大学も二年となり、普通の大学ならのんびりとキャンパスライフを楽しんでいる頃だが、息子の学科が特殊なこともあり、授業は実技を含めびっしり夕刻6時まで詰まっているという。

新学期が始まり、大判カメラの授業がなかなか面白いと言っていた。息子に渡した僕の露出計は、結構いいレベルのものだったが、長い間使っていなかったので使えず、仕方なく新品をカンパすることとなった。

ついでに携帯で近況を聞いたり世間話をしていたところ、新しいバイト先がなかなか見つからないという。そして、部活と重ならないシフトを考えるのが結構難しいとのこと。

この時期、働き口を見つけるのは、どこも大変だよな~.....って、「部活」ってなに?
「いや、部費も払わなくていいって言うし、大学の体育会の右翼みて~な集会にも出たことにするから、サッカー部に戻ってくれないか?って言われちゃったんだよ.....」


一人暮らしや、大学の授業、アルバイトの生活をどうやら掌握して、自分で自分の生活を其れなりにコントロール出来てきた様だ。
あとは、自分の適性を大づかみに摑んで、少しだけ将来の自分をイメージ出来るよう、ちょっぴり自分に関心を持てればいい塩梅なんだけど・・・と伝えた。

なにしろ、努力していることが、自分にとって苦痛でない仕事に就くことが一番だ。
 どっち道これからの日本は、どんな職業に就いても大変なことには変わりないのだから、やっていて楽しい、傍から見てそこまでやるか?と思えるほど努力していても、本人は全く負担にもストレスにもなっていない.....そんな職業が理想だ。僕自身がそうだから間違いない。後は、何とかなるもんだ。
.......そうかっ。よかったじゃん。サッカーは、続けた方がいいよ!

12年間もサッカーを中心に生活が回っていたんだからサッカーをしている方が自然なのだ。

僕自身も、この4月から逗子市役所の昼のサッカー部の練習に復帰させてもらっている。この歳になってもフットサルでは、ハットトリックを決めるときもある。
状況判断の早さは、年齢と関係ない。勿論、役所の連中の平均年齢もここへ来てグンと上がってきた。それでも僕よりみな若い。

でも、正直を言うと肉体的な衰えは、必ず判断力やプレーの遅延を引き起こす。
それは、筋肉を中心としたフィジカル面の能力が落ちているのに、そこへ脳からスピードを要求する指令を出したとしても意味がないことを身体が分かるためだ。
加齢が進む中で、フィジカルなスピードを繰り返し要求しているうちに、それが身体全体としてナンセンスであることを、反復のなかで認識するよう我々の身体はできている。従って、肉体の衰えは、必然的に思考の衰えと連動する。仕方ない。

(業者に頂いたポートレート・県大会ベスト8 1998 )
それはさておき、歳を忘れるほどサッカーというスポーツは、魅力的だ。
これは、やった者じゃなきゃ分からないが。アーティスティックな閃きと、そのパフォーマンスが重なったときなどは、傑作の作品を作った瞬間と同じ感動が持てる。あとから、そのシーンを反芻するだけで、その喜びは2~3週間持つのだから。
なので、幾つになっても楽しめる。

先日、宮台真司のインターネットラジオのゲストであった青色ダイオードの発明者中村修二教授(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)が言っていた。
・・・アメリカの優秀な学生とアジアの優秀な学生の決定的な違いは、「遊び」にあり、彼ら(アメリカの学生)は、勉強もするが、遊びもスポーツも半端じゃないらしい。そのことが、学業で追い込まれたときや、実社会に出たときの最期の粘りになっているという。これは、決定的だそうだ。

息子には、サッカーを生涯スポーツと考え、人生の大切な伴侶として続けていって欲しいと願う今日この頃であります。