東京再開発

 昨年の丸の内に続いて六本木には「六本木ヒルズ」がオープンした。これに続いて汐溜・品川と東京再開発は目白押しだ。

僕が長年御世話になっているAXISのSAVOIR VIVRE (サボア・ヴィーブル)は六本木にあるので他人事とは思えない。

そこで、この目で確かめるのが一番と先日出掛けてみた。

実は、六本木ヒルズの立て役者である森ビルオーナーからサボア・ヴィーブルも出店の打診があったそうだ。でもサボアの宮坂オーナーは「あんなジャンボジェットが突っ込みそうなビルに移るのはゴメンだ」とばかり断ったそうだ・・・・・。

絶対一日じゃ回りきれないほど「六本木ヒルズ」はでかくて広い。周辺の建築コンセプトも悪くない。でも、中身のコンセプトは金太郎飴のように現代日本の文化情報として流されているメディアの(コピー)n だった。

先月、銀座で個展を持ったが、知り合いとちょっと飲もうということで、たまたま個展に寄られた「銀座百点」に出筆なさっている向笠千恵子さん(「小説新潮」”食の街道を行く”連載中)お奨めの沖縄郷土料理を出す飲み屋さんを捜して久しぶりに銀ブラしていると「工事中か?」と思わせる白壁の囲いに、見たことのある落書きがあると思えばこれがまた村上隆のペインティングだった。

そして、そこは僕がかつてこのコーナーでもそのホームページを激賛した「ルイ・ヴィトン」が銀座戦略として出店した拠点だ。

そして、今回六本木ヒルズで目に飛び込んできたのも村上隆のペインティングやそれを扱うショップのグッズだ。中にはニコニコマークに似たブリキのバッチまで売っていたのには驚かされた。

そういえば慎太郎さんに食事に呼ばれたとき、リカちゃん人形のような村上隆の彫刻?を「好いだろう!」と同意を促されたのには困った。僕は嘘が付けないので「慎太郎さんはキャパ広いですね〜」と評価を避けた記憶がある。

(村上隆作 SUPERFLAT MONOGRAMより)

正直、僕は360度一回転してその凡庸なつまらなさを「面白がっている」としか思えない村上隆の評価、そしてその視座の置き方に辟易している。これは、落語家が楽屋で全く面白くない噺を仲間内に聴かせて”全く面白くないから面白い”という閉塞した仲間内の転倒した「面白がりかた」に極めてよく似ていると思っている。

時々やっかみか?とも思う。僕自身、魯山人でさえ数点を除いてほとんどが駄作だと思っているし、「名前ほどよかねーだろ」と自分の感性を信じている。その点、ピカソなどの評価とも近いものがある。『ゲルニカ』と『泣く女』くらいしか良いものはないと乱暴にも思っている。だからNさんには悪いが彼を天才だと感じたことはない。千年経ったら残ってないかも知れないんじゃ・・・・?くらいだ。その点レオナルド・ダ・ビンチは確実に歴史の中で残っていくと思う。その意味で天才を超えている存在だ。ということは、ピカソは天才止まり?ということ・・かな。

まっ、評価は自由なのでこの話は聞き流して下さい(^^;)。

何れにしても「新しいもの」、あるいは「新しいこと」を創り出すには個人の「意志」だけでは無理で、分かりやすく言ったら時代状況の後押しがないと形にならないということでしょうか。

特に時代を支える基本エネルギーが生み出す構造は重要で、現在のこの閉塞感も化石燃料に代わる代替エネルギーが当分生み出されないだろうといった読みから来ていると思える。水素燃料の迅速な開発が待たれるところだ。
 いま先進国は、水素をエネルギーとした発電装置を血眼になって開発している。今のところ一台につき2億円かかるということなのでまだまだだが、これが一般家庭に普及したときが根底から文化の有り様が代わるときだ。そのとき電力会社は無くなるは、ガソリンスタンドは無くなるは、当然中東からの列車のように連なるタンカーも消えるは、有害な排気ガスは減るは等々、エネルギー代謝の構造変換で経済・産業・政治を筆頭に世の中一変する事だろう・・・・・。(勿論、新たな難題を抱え込むことだろうが)。

「六本木ヒルズ」大いに結構!でも、扱っているものは銀座や青山で買えるブランド品。別段「六本木ヒルズ」でなければならない訳ではない。そこが寂しいのだが、でも例えお上りさんが食事に来るだけとはいえ、人が動く事は好いことです。文化とは物見高く野次馬根性で動き回ることで生まれていくものでしょうから。

日本では暫くこんな状況が続く事でしょうが、それぞれが個々人で毎日を充実させて面白くしていかなければ「面白さ」が向こうからやって来るということはないということでしょう。残念ながら、それだけは確かなようです。 

これが今回「六本木ヒルズ」見学後の感想であります。。。。おそまつでした・・・・・。

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