gallery 2.0 No.3 (新しい画廊とは)
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今、工芸が置かれている状況にに関して語らなければならないことが沢山ありすぎて、どこから・・・・・



その前に、僕らは、galleryに何を求めて来たのだろう。そして、僕自身galleryに何を期待して出掛けて行ったのだろう・・・・・・。



このことを切り口に話を進めていけば、今のgalleryの課題も見えやすくなるようになるのでは。。



gallery(ここでは工芸に限定します)の扱うものには、実用性に立ち位置をおくものと、ファインアートの要素が強いものとがある。ちょっと、この点に触れながら工芸のgalleryが抱える課題を考えてみると、より深く問題をあぶり出すことが出来るのではと思っている。
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さて、出不精の僕ではあるが、お付き合い頂いているgalleryや百貨店に用事があって銀座に 出掛けるときは、地代の高い銀座から、お隣の京橋に移った現代美術のgalleryにまず寄る。
そこでの空間に僕が期待するものは、”今まで見たこともない表現”に出会うことだ。滅多にないことだが、偶然にも、そう言った表現に出会えた時の喜びは格別だ。



翻って、自分が関わる工芸のgalleryに期待するものはというと、これは現代美術の画廊とはちょっとニュアンスが違ってくる。



一口に「工芸」といっても、それは様々だ。大きく分けて、使い勝手を優先順位のトップにおくものや、逆に使い勝手より”遊び心”に力点をおくものがあるが、実は、人間の表現の原点が、この二つの表現に集約されてあるともいえる。



「実(用)」と「虚(遊び)」・・・・・工芸は、その発祥の当初から、この二つに軸を振れつつ、あるときは同居させつつ今日まで来ていると言える。

(縄文土器)
工芸に限定して言えば、その表出欲求が叶って一つの器を創出したとき、その器の発祥当初は「実」から入ったと考えるのが自然だ。水を汲む必要から、あるいは、穀物を入れる器として凹としての形を捻り出したと思える。

それにつづいて、装飾という「遊び」が加飾されていくが、”実”としての器を生み出すのも人間ならば、その器に”装飾を”加えるのも人間で、どちらも人間臭い行為といえる。



「実」として入った人間の表出欲求は、人間の持つ観念の特質から、そのイメージはきわめて自律的だ。それは、表現が生まれたときの動機から離れて、自由に飛翔し別次元の自律化に向かう。実は、「装飾」の原初がここにあると僕は考える。

(弥生土器)
「自律化」というと、何だか観念的でひかれてしまいそうだが、簡単に言うとイメージは派生的だということだ(逆に観念的かな;;;;)。イメージは、最初のイメージから離れて、次々と生まれ変わって行くということです。



そして、「実」の対極におかれる「装飾」ですが、実はファインアートの原始がここにあると僕は考えている。



「実」という生存の現実も重要だが、人間が人間らしくある事の中に、「実」という現実の生活から離れて、より自由でありたいと願うということもある。こういった人間の持つ原初的欲望を表現に置き換えたとき、そこにファインアートが生まれる。



ファインアートの極致が現代美術にあるとすれば、その原始は、恐らくストーンヘンジや縄文の環状列石などにみられる、「実」から限りなく離れた表現にあると思われる。もちろん、人びとの精神的支柱になると言う意味では「実」として実際に役に立っているわけだが、ものを砕いたり、叩いたりする道具ではないという意味で「虚」ということになる。そして、この精神領域に宗教が重なっている。

(縄文時代............環状列石)
何だかgalleryとは、大分離れた話のようですが、実は工芸を扱うgalleryでは、この二つの人間の持つ表現領域をしっかり掴んでおかないと、今のgalleryに何が求められているのか見えなくなってしまう。



今ではすっかり消えてしまったが、むかし、町には瀬戸物屋と呼ばれる「器」を扱う商店があった。そこでは様々な器が並べられ日常で使われる道具としての器が売られていた。’80年代に出来上がった今あるgalleryは、そういった瀬戸物屋にはない、もう少しグレードの高い「器」を扱い紹介する空間として出発したと思う。



僕らが、そういったgalleryに期待したものは、今よりグレードを上げた生活を描き、それを実現したい・・・・・その象徴としての「器」に出会える場所だったと思う。galleryで扱う所謂”センスのいい器”の意味するところは、そういった望ましい生活のメタファーとしての器ということだった。
中原中也 file index
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小林秀雄
盲目の秋
梅雨の晴れ間
春の予感
中也詩椀

工芸の現在
はじめに
マニュファクチャーと付加価値
伝統工芸産地の今
新たな流通の確立へ
生活スタイルを決める経済
理想の生活スタイル
退潮著しい伝統工芸
<消費>について
続<消費>について




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ここで重要なのは、すべてのアイテムに言えることだが、それらのアイテムが体現している”望ましい生活”が今、’80年代と大きく変わってしまったということだ。
 ’80年代の中頃、すでに電通あたりが「大衆から小衆、そして分衆へ」と、時代が価値観の多様化でマスとしての社会から、多種多様な価値観をもつ小グループへと社会構成が大きく変質したことを訴えていた。それから30年経った今、galleryがそういった社会の到来と欲求に応えているか・・・・。



様々に分散し多様化した消費者に向けて、今galleryは何をすればいいのだろうか・・・・。



その内容に関しては、先程触れたように「実」としての立ち位置にたったアイテムのものに関しては、今という時代の要求する実用性を考えた、”今の社会の考える使い勝手”のいいものをどう紹介するかということと、今まで以上に「虚(遊び心)」の溢れた、その意味でアート性の強いアイテムのものをどう紹介するかということになる。
 

(AXISからの六本木ヒルズ)
ここまで来るのには多少時間が掛かりましたが、ここまで来ると、これからのgalleryが何をどうすればいいのか、大分見えてきたと思う。




前回も触れたように、gallery運営のリスクに関しては、そのリスクの中でもgalleryがテナントなどで出費するリスクは、特に都市では大きく運営を圧迫している。なので都会の一等地でgalleryを運営するのであれば、当たり前の話だが、たくさんの数の商品或は作品を売らなければならないし、そうでなかったら付加価値の高い高額の商品或は作品を売らなければならない。



現状では、どちらも難しい。商品の数を揃えるには、在庫を抱えるリスクが発生するし、また高額商品を揃えるのにも同じように在庫を抱えたときのリスクが発生する・・・・・。



・・・・本当だろうか?僕はこのリスク不安は、まったく今の社会の現状や構造が理解されていない輩がもつ無知から来るものだと考えている。



・・・・・・・つづく
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