自分を引き受ける
この歳(来月で満52才になります(^^;))(2002/1/17現在)になると、面倒くさい自分と折り合いを付けて生きていく術を得ているが、ここまで来るのに結構苦労した気もしないではない・・・・・・・。
小学校の頃、僕は映画という映画を観に連れていってもらえなかった。
というのは、放映される場面に、ちょっとした暴力シーンが出ると、とは言っても丹下差善がコアッパどもを、ひらりひらりと交わしながら撫でるように軽やかに太刀を振るうシーンだけで、どばーっとゲボしてしまうのだった・・・・・・(-_-’’)。
おまけに、何でもない映画のシュチエーションにひどく心動かされ、見終わった後は死ぬほど頭ががんがん痛くなって気分が悪くなり熱を出すのだった。
「情けない奴だ!(\__/)」........................
そう言ったきり、親父は二度と僕ら家族で映画を観に行くことはなかった。
何しろ見るもの聴くものに、年がら年中、鳥肌が立っていて(終業式の校長の何の変哲もないお言葉?にも反応していた)、毎日が驚きの連続だ。
こんな具合だから、ずーっとこの性格は、一つの傷害だと確信していた・・・・・・ついこの間まで。
そんな経緯から、一つ間違いをしてしまった。
それは、自分の子供が産まれたら、あらゆる情緒を助長させないように対処しなければ!っといった態度で子供に接してしまったことだ。
何を見てもさして心動かされることなく、あまり物事に一喜一憂せず、そして淡々と飄々とこの世を渡っていって欲しいと勝手に思いこんでいた。
でも、残念ながら僕の長男は、初めて逗子海岸に連れていった時(一歳にも満たなかった)海を見て泣いた。(ヒヤリとした。)
3才にも満たない頃、流れる雲を見て「あっ、風・・・」とほざいた(-_-;)・・・・・・
こんな具合では、厳しい世間の中、たくましく渡っていけねーっぞ。僕の無意識は、彼に対して自動反射的に反応していた。これが、世に言う近親憎悪というのかも知れない。(そうは言っても、人類史上初めての息子と父の近親相姦が起きても不思議がないほど愛しく思っていたが (^^) )。
(’86 初夏? 次男・長男)
雑草のようにたくましく......................そんなふうに生きられたなら、どんなにか楽だろう・・・・・・・・・・
皮肉なことに、その点次男は、理想型と言えるくらいたくましく生まれてきた。
「ふざけんなよ、こんなきつい思いをさせやがって!」そんな顔をして次男は新生児室に寝ていた。
2才くらいの夏、確か前々日台風が来た後、葉山海岸に海水浴に連れていった。
波打ち際に手を引かれつつも、その荒れ狂う大波に驚く様子無く、うっかりしていたかみさんの手を振りほどき、その大波めがけ突進して行くではないか(>_<)・・・・・・・・・・・・・
あっぶね〜 当然息子は、もんどり打ってゴンゴロゴロと濤にのまれ、かみさんは、慌てて(もっと早く気づけよ!)捕まえた。
全然懲りずに、きゃきゃいっている息子のエネルギーに辟易したかみさんは、頭から波が掛かるよう波打ち際すれすれを、波と平行に手を引いて息子につきあっていた。
まっ、子も子なら親も親だ(^_^;)。