何やかんや、今年で、このホームページも開設11年目に入りました。あっと言う間でした。

思えば、バブルがはじけて美術、特に工芸が何となく元気が無くなった頃の開設で、世紀末とも重なり、社会が構造的に変質していく予感から、先がまったく見えなくなった・・・・そういった実感も強かった様に思います。

美術工芸という存在が危うくなり、その中で生き続けてきた自分の基盤も揺らぐので、もう一度自分の足場を確かめ、そして固めたいという無意識もありました。なので、誰かに向けてのメッセージということではなく、言ってみれば自分に対して語りかけることで、見失い掛けた「自分」を取り戻したい・・・といったら大袈裟ですが、ニュアンスとしては、それに近いものがありました。

当時の僕のOS は、Windows 98 。たった4.2GのHDDと300MhzしかないCPUを駆使して、新しいIT環境に適応しようと必死でした。何しろ、それまでパソコンに、一度も触れたこともなかったのですから...........。



(1999年2月 初めてのhpトップページ)
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2008
7/18 since 1999
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元 旦
バブルがはじけた当時、社会の気配として、降って湧いたように押し寄せてきたIT化とグローバル化の波は、優良企業までもびびらせ、定石通り、まず広告費から削減を決めていきました。それまで元気だったCMは、見るも無惨に質が落ちて行き、TVCMは、ワンフレーズの繰り返し等、半世紀以上前のヒトラーが考案した広告の定番へ回帰...........。

雑誌や、TVという旧来のメディアも必死でした。黒船のように到来したインターネットへの取り組みも素朴で、各PC雑誌も、面白そうなホームページを取り上げては、ランキングしてURLを掲載していました。僕のホームページも(当時は『URUSHI ART』と銘打ってました)結構いろいろなPC専門誌に紹介されました。今では考えられませんが、フジTVの取材も受け、ほんのちょっとですがTV放映されたこともあります。

考えてみると、旧メディアの雑誌やTVが、主題としてWEBを紹介するのは、まるで駕籠かきが、提灯の先に新幹線の時刻表をぶら下げる様なもんで、今考えると何とも奇妙で滑稽な出来事ですが、当時は、インターネットという新しいメディアにかなりのプレッシャーを感じていたようで、みな大真面目にトンチンカンなことをやっていたように思います。

★★★三ツ星 file
     
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大工牧野 恋するミトコンドリア?
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アート
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工芸の現在
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マニュファクチャーと付加価値
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<消費>について
続<消費>について


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new shop
sinajina.jp

(1998年   PCで描いた、初めてのCG)
十年という月日は、いろいろな意味で変化を生み、最近の僕は、分からないフレーズが出ると、Googleでのネット検索が50%、後はPCにインストゥールした広辞苑での検索が30%、残りの20%が電子辞書ってな具合です(昔、散々世話になった辞書達は、埃被って本棚に寝ってます;;;)。

WEB開設当初は、それまでの自分を引きずっていて、結構小難しいエッセイなどもアップしていました。活字離れという現実は、ヴィジュアル優先の今の社会では致し方ないので、最近は、成る可く平易な言葉遣いにしようと心掛けています。

でも、たまに見るアクセスログ(アクセスしてきたユーザーの閲覧解析)によると、十年近く前に書いた工芸や美術に関しての小評論も、未だに一週間に数百件の閲覧があるのにちょっと驚かされます。

(初めてのデジカメ CASIO-QV2000で撮った我が家の庭........1998年)
WEBも十年以上運営していると,偶にですが嬉しいお便りも頂けます((勿論メールですが)。
先日も、ある博物館の学芸員の方から・・・・・

「貧困な工芸界と工芸評論しかない中、東さんの文章を読むうち、自分の仕事にも意味があると思えるようになりました・・・・」
「古くさい、誰も顧みない工芸を、いま、研究・展示する意味とは」
「(日本の風土において)人がものを作るとは」
「工芸の本質は、言葉で書きあらわせるのか否か」
「装飾は芸術ではないのか」 
等々…という問いに、答えてくれる数少ない文章なので…活字に飢えた中学生のように(仕事そっちのけで)、読ませていただいております。

・・・・・といった、身に余るお便りを戴きました。


今どき硬い文章なんて誰も読まね〜から削除して、もっと分かり易いのに新しく書き直そうかな〜。。なんてぼんやり考えていた矢先だったのですが、4180以上あるデーターファイルを見直すのもかったるいので逡巡していました。でも、今回のような真摯なお便りを戴くと「また真面目に工芸評など、書いてみようかな〜」・・・なんて思い直したりしています。

(2000年 神武寺岩肌)
言葉は、自分の想いを容易く人に伝えてはくれません。ましてやネットでは・・・・。

何れにしても、分かり易さは必然の流れ。複雑な内容を、なるべく平易に表現する努力は忘れないようにしたいところです。

分かり易さと言えば、先程お話した学芸員の方が、朝日新聞に載せた、ご自分で企画した展覧会のコメントは、鷹揚で懐の深い、すべての人々に向けた慈しみに裏打ちされた言葉が選ばれているのに新鮮な衝撃を受けました。

新しい評論とは、こういったスタイルになるんだ.........と感心して、その旨を伝えると。。。

いつも、仕事をする時、特に展示解説パネルや広報の原稿を書く時など、祖父母や両親のことを考えます。

彼らのように、ほとんど初等教育しか受けていない人にもわかってもらうには、どうしたらいいかと…。

芸術や美術を、知的上流階級の人々だけのものにしてしまう風潮にも、従いたくないのです。

貧乏でも、学校に行っていなくても、時代遅れでも、悪趣味でも、俗っぽくても、ちょっと病的でも…

自分を卑下することなく、芸術を身近に感じて生きてゆく、そのための答えが工芸という領域には隠されている気がします。


・・・・工芸をこんな風に愛している方が、アカデミックな世界にも実際にいらっしゃるということを知り、日本の工芸界も捨てたもんじゃないな〜と感慨無量です。

(2000年 葉山 ラマーレド茶屋
さて、萎えることなく工芸の理想を追いかけていこう!・・・と、勇気を頂いたところなので、先ずは継続が命でしょうから、ここは褌を締め直して、このurushi-art.net も、より充実させるべく精進したいと思います。

これからも、よろしく〜。。。


何故か蝉の鳴き声が聞こえないのですが.....................(2008.07.17 PCがダウンした日)
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