やっぱり大坂  
   

 グランドスラム大会の優勝者に日本人の名前が記録されるという信じがたい出来事が、現実に起こった。2018年は記念すべき年だ。アメリカンオープンの優勝をセリーナ・ウィリアムスに完勝して手に入れた大阪ナオミこそが、その神の領域に入った選手である。

 

その体格を見れば父親のDNAを色濃く持ったことが即座に理解でいる。ハイチの出身である父親のルーツはアフリカにたどり着くことも間違いない。優勝者としてのスピーチで見せたデリケートなメンタリティは母親のそれなのかもしれない。

 
 

彼女が子供の頃に憧れた選手がセリーナであったというのも、実に興味深い。ウィリアムス姉妹は、二十歳の選手がテニスを始めた3歳の頃から女王であり続けていたのだ。

 

マルチナ・ヒンギスやシュティフィ・グラフが活躍していた20年ほど前、たまたまテレビで見た全米女子ダブルスの決勝で、強烈なショットを打ちまくり、イージーミスを繰り返していたのがウィリアムス姉妹を見た最初であった。

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  2005~2018  常滑レポート index

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その後、彼女たちの時代が長く続くことになった。アシリア・ギブソンというアフリカ系の女子チャンピオンが存在したというが、僕の生まれる前のことだ。テニスの事を知りだした高校生の頃、マーガレット・コートやビリー・ジーン・キング、そして、クリス・エバートの時代だった。

 

その後、マルチナ・ナブラチロワの時代も長かった記憶だが、中国人選手の李娜が全仏オープンで優勝したのが2011年。伊達公子が元気だったのもこのころだ。

 

僕が高校生だった頃のアメリカの選手にアーサー・アッシュがいた。ラケットはウッドが圧倒的だった時代に、アッシュはヘッドのコンペティションというアルミサンドとグラファイトの不思議なラケットを使っていた。サーブ&ボレーのスタイルであった。アフリカ系のアメリカ人であった。


その後、フランスからツォンガが出てきた。アフリカ系フランス人で、身体能力は圧倒的だと見えたが、時代を作るには至っていない。錦織君のコーチ、マイケル・チャンもイワン・レンドルを破って全仏のタイトルを取ったが、一度きりだ。

 

ATPランキングでトップ10入りしてきた錦織君の凄さも半端ないのだし、グランドスラム大会でのベスト4など信じられない成績なのだが、ジョコビッチやナダル、フェデラーといった時代を作っている選手には、なかなか太刀打ちできないのが現実ではある。

 

大坂の凄さは、ジョコやラファやロジャーと同格の時代を作ったセリーナに完璧に勝利して見せたところだ。そして、全米オープンのセリーナのレフェリーへのクレームは女性でありアフリカ系である事で受けてきた社会的なハンディキャップへの爆発であったようにも見えた。

 
 

しかし、そのセリーナを育て、大坂や錦織を一流のプレイヤーに育てたのも、残念ながらアメリカなのである。日本の学校でやっていたらグランドスラム大会で1・2回勝てば大騒ぎといった選手で終わっていてもおかしくないのが現実なのである。

 

トランプの時代になってアメリカは、かつての人種差別が復活しつつあるとの情報も少なくない。大坂の稚拙な日本語や風貌から、日本人と言えるのかという意見も少なくない。大相撲のモンゴル人力士など、流ちょうな日本語を話し日本国籍を持っていても日本人とは区別される現実が、この国にはある。

 
   
 

オバマの時代のグローバルで人種の壁を無くした理想主義的な流れには無理があったという事なのであろうか。当節、地方の大学にも留学生は少なからず居り、教員には外国人がいっぱいいる。

 

30年ほど前、名鉄常滑線で外国人を見ることは、相当に珍しい事であったのが、中部国際空港の開港もあるのだが、当たり前に一見しての外国人を見かけるようになった。それでも、日本語以外の言語を必要としない毎日を暮らしている。

 

移民の国であるアメリカですら今の状態なのだから、島国の日本の差別意識は一層根深いものがある。理想と現実のせめぎあいは、これからも長く続いて行くのだろうし、アスリートの養成において日米の格差も大きく開いている。