長三賞1972年  
   

1972年というから45年も前になるが、長三賞という陶芸・陶業の公募展が、常滑の地で開催されたのだった。僕は高校生の頃になる。長三は「ちょうざ」と読み、伊奈長三郎という人物の名前に因んでいる。


そして、その長三賞公募展が終わりになるという情報をラジオから聞き知ったのが先日のことである。全国公募の陶芸展が急速に減少したのは2010年頃であろうか。新聞社がこぞって大規模な陶芸展を開催していたのも70年代以降であろう。

 

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0303 長三賞1972年 
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 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2017  常滑レポート index

陶芸・陶業展の開催は、地元常滑の陶業・陶芸振興を目的としているのであったが、近年応募者の中で常滑の作家の占める比率が減少しているというのが理由であった。近年の若者気質として、公募展で賞を取っても、それが自分にとってさほどプラスにはならないという傾向は少なからず見受けられる。

 

そして、陶芸展の選考者の顔ぶれによって受賞の作風が決まってしまうという傾向もかなり強くなっている。よって、出品者も自分の作品が評価されるはずがない公募展には出品しなくなるということになるわけだ。

 

作風も多様になり、美意識も複雑多様な広がりをもってしまったのだから権威をありがたがる時代でもないのだろう。公募展は特定のサークルのイベントになっていたのであった。よって、公募展の終了は時代の流れとして受け入れざるをえないのである。

 

さて、では地元の陶芸・陶業はどうなのだという事になるのだが、伊奈長三郎とはINAXの創業家が代々名乗った姓名であり、長三は陶号として名乗った雅号になる。5代目を継承するべき人物が職人を雇って芸から業へと転身、6代目と共に株式会社を起こして伊奈製陶としたのであった。

   

6代目は常滑市長にもなり、常滑市に自社株をドンと寄付したのであった。その株式の配当を基金として公募展も運営できたのであった。1985年にINAXに社名を変更しているが、そのころの常滑の街中には大小数々のINAXプレートを掲げた協力工場が点々と存在していたものである。

 

しかし、7代目は2001年に東洋アルミの後身、トステムと経営統合することで安定的な存続を計ったのであった。そして、現在株式会社LIXILの一部製品ブランドとしてINAXは存続している。

 
   

記憶はあいまいながら、昨年LIXILブランドのトイレを見たぞと思い、検索をかけるとすでに数々の商品が生産されている。畑に通う途中にある流通拠点や常滑の旧本社の屋上に掲げられているのも、かつてのブルーと白のINAXではなくイエローのLIXIL看板である。コーポレートガバナンスとかいう戦略なんだろう。TOTOという強敵に立ち向かっていくには当然の成り行きなのかもしれない。

 
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2005年に開港したのがセントレア空港であった。対岸に作られた巨大な埋め立て地は長く野鳥の楽園であったが、ここにきて色んな業者が参入。イオンモールとか、めんたいパークとか、コストコとか。

 

すでに焼き物とか無縁な領域の街になっているんだ。時代の流れというのはそういう風に非情のライセンスを持っている。そして、亡くしたものを恋しがるという阿呆な側面も併せ持っていたりするんだよねえ。