蝉時雨の頃に  
   

クマゼミが鳴き出した。その声を聞けば一気に夏の気分になる。梅雨明け宣言なんて、もはや無用だ。気分は夏休みなのである。 

新学期が始まったと気を引き締めたのが昨日の事のようで、それでも既に12回の講義が終わっていて、残すところは3回になるのだった。 

気がつけば身の回りにいた若者たちも、それぞれ落ち着きどころに落ち着いていき、また新たな若者がそれぞれの役割を担っている。大学と深く関わって5年が過ぎている。

 
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2005~2016  常滑レポート index

学校というのは、あたかも身体の如く、同一個体でありながらも、日々、細胞は更新され、昨日の自分と今日の自分は別の細胞で構成されているかの如くだ。 

小学生の頃の夏休みは、とにかく蝉取りであった。長い竹竿の先端にハエ取り紙のネバネバ(モチと言った様な記憶だが)を塗りつけて、欅や桜の木に並んで鳴いているクマゼミをかたっぱしから採ったものである。 

海で釣りもしたのであったが、その頃、ゴカイは河口に干潮時にできる干潟で小石を手鉤でひっくり返しながら自分で採ったものだ。今時のようにお金を出して買うようなものではなかった。

 

しかし、夏休みの釣りは、さして面白いものではなかった。猿尾(さろ)という堤防から伸ばす釣り針に掛かるのは小さなセイゴやハゼやカレイなどで大物が釣れた記憶がない。 

最初、大学に入ってからの夏は遺跡の発掘調査とつながってしまう。蝉時雨を聴きながら汗を滴らせて中世の窯跡を掘り、古墳を掘り、古墳の堀を掘り、横穴墓を掘り、古代製塩遺跡を掘り。田中角栄による日本列島改造論の時代であった。 

夏の発掘は実にキツイのだったが、就職してからも10年ほどは発掘に明け暮れした夏だったように思う。土地改良事業という名の土木工事が半島を覆っていた。

   

2度目の大学時代は、老眼が進み、乱視が混じり、極度な近眼という視力になって細かな作業はもはやできなくなっていた。よって、遺跡の発掘なども見学はするものの実際に掘ることはもう無理だと思っていたのだった。 

博論の主査であり、いろいろとお世話になっている教授から一緒に発掘やりましょう、とお誘いを受けても、足でまといになりますからとやんわり断って昨夏は毎日畑に出向いて読書などして過ごしたものだ。 

しかし、今年は教授から一緒に酒を飲む相手が欲しいからという決め台詞を頂戴。たしかに子供たちより若い学生と話していても、今ひとつ物足りないのであろうことは拝察できる。

 

 
ほぼほぼ同世代の教授は、実に着実に事を進め、鉄壁の学説を提示し、人生も計画通りの人物である。過日、愛知県史通史編の編集会議で一緒になり、午前の会議を終えて午後は栄の三越屋上へ。  

ビアガーデンにてジョッキを傾けつつ、ホルモン系の肉を焼き、味噌串カツなどを食べながら、楽しい時間を過ごしたのであったが「僕は30歳までに子供は3人と決めていた」とのお話には驚いた。

 
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同じような資料館勤めから大学に出たのが12年ほど前、すでにお孫さんが一人あり、3人娘の二人が結婚という。僕などは結婚したのが33歳の年だ。子供は二人共独身、孫など10年先にいるかどうか。

 

なんだか、行き当たりばったりの出たとこ勝負の自分の人生や、ツッコミどころ満載のいい加減な論文しか書けない自分が情けなくなるのであった。まあ、テニスで楽しみ、料理を作り、タバコなしでも大丈夫なくらいが内心優越感を味わえるところかしらん。