若年性認知症 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また、新しい学期が始まった。近頃の大学は四月の第一週から入学式・ガイダンス・講義という小学校よりタイトなスケジュールで流れていくのであった。年が明けて、はや三か月が過ぎたわけだ。なんとも早い。 年明け早々の仕事始めの頃に名古屋城三の丸にある自治センターで愛知県史の通史編2の原稿を検討する会議があったのだが、その記憶が完全に飛んでいた。3月に、やはり県史通史編3の粗原稿の検討会で、ご一緒した愛知学院大のF教授に、もう通史編2の原稿、訂正して送りましたか?と尋ねられて、その記憶が消えていることを知ったのだった。 |
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2005~2017 常滑レポート index |
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いや、自分の原稿の訂正個所をご指摘頂いたことは、すぐに想い出したし、その訂正も可及的速やかに行った記憶もあるのである。そして、年明け早々だった会議のことや、帰路地下鉄で文献の先生とご一緒したことも想い出した。 年度末を迎え、その訂正原稿を事務局に届けようと捜すのだが、PCやメモリ類のどこにもない。あるのは指摘を受けた粗原稿のみだ。そして、ご指摘を受けた個所をメモした会議当日のメモ入り紙原稿もないのである。春さむの半日をその捜索に費やしたほどだ。 |
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そして、ふと訂正した記憶があるということは、すでに事務局に送っているのではと思い、メールの送信ボックスを開いてみる。すると、なんと1月16日に訂正原稿が添付されて送られていたのであった。 まったく記憶が失われていたのであったが、一応それなりの対応をしていたわけだ。問題は記憶がないという現実である。記憶の手がかりをたどりながら、なんとか訂正原稿の所在を突き詰めることができたのだが、なんとも気味がわるい。 |
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これほどすっぽり記憶が飛んでしまうのかと。なに、毎朝目覚めると昨夜の就寝に至った経緯なども、すっぽり記憶が飛んでいるのだから、当たり前なのかもしれないが、記憶が飛んでいたままだと教授とかに迷惑を掛けかねない。もはや認知症の気配がするのであった。 メールの記録があってくれたお陰で何とかなったのであるが、そういえば2月の末、群馬のY君が城跡出土の瀬戸美濃製品を持って愛学大にやってきたのだった。教授の鑑定を受けてのち名鉄バスセンター行きのバスで名古屋駅にあれこれお話しながら戻ったのだった。 |
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彼と別れて帰宅し、翌日は畑に出向き命の洗濯。その次の日携帯電話が無いことに気づいた。家の電話から携帯に電話を掛けて、車のシート周りを捜したり、ポケットの類をチェックしてもない。となれば昨日畑のベンチで体を伸ばした場所でポケットから落としたに違いないと翌朝早く小雨の降る中、畑に戻って件のベンチ周りをみても携帯電話はない。 もし、悪い人の手にわたってしまうと犯罪に使われる危険もなしとしないご時世である。とりあえず携帯電話の会社に家の固定電話から電話を入れ事情を話して悪用防止のため回線を止めてもらうことにする。 |
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そして、もしやと愛学大から名鉄バスセンター路線のバス会社が開設している落とし物センターに電話をいれて、路線、日時、携帯の色や形状などを告げると、そこにあったのだった。 すでに落とし物の部屋に隔離されていては、鳴っても誰も出やしないのである。この時はバスに思い至って幸いであった。それにしても、ガラ携ですら夢のような機械である。スマホに至っては、もう別世界の夢みたいなものだが、そこに行くと自分が痴呆に陥ってしまいそうで怖いのである。 |
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昔のように原稿を手で書いて、郵便で送ってなどという手間をかけた作業をしていれば、記憶に残ったのだろうけど、あまりに便利になると自分のやったことの印象も薄れてしまうのかもなと。なんたって枳豆荘の荘園を建武三年に足利尊氏が園城寺に寄進した文書に名越遠江入道跡という記述があって、それをそのまま書いたら、それは名越宗教という人物に特定できているという指摘はしっかり記憶しているんだものなあ。 |