定年後  
   

人生の方向性というのは、しばしば意外な方向にずれていく。すでに還暦を過ぎて2年だ。この齢だと再任用とか雇用延長などして働いている同年が大半なのだが。まさかの定年2年前に辞職し、アルバイト生活になって早いもので4年になるわけだ。

 

やらずもがなの事をやって辞職したという面と、市議会などに引っ張り出されて、あれこれ質問に答える仕事など、役場の管理職というのは自分にとって負担以外のものではなかった。そのまま続けていたら癌にでもなっていたかもしれない。

 
   

幸いなことに相方は自分など及びえない仕事中毒で、通勤時間を含めれば115時間くらいは普通に働いている。そして、亡父が残した広すぎるほどの畑があり、草との追いかけっこは年がら年中である。

 

そして、ライフワークだと思っていた研究への情熱も不思議と消えかかってくるのであった。これまた幸いなことに若き後継者は頑張ってやっていてくれるので、時折相談に乗るくらいで何とかなっているのであった。

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立春 
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2005~2017  常滑レポート index
 

この頃は小学校や中学校で同級生だった仲間の親の葬儀などで顔を合わせる機会が結構あるのだ。彼らにとって半世紀後に晴君が研究者になって大学で講義しているなんで予想は誰一人しなかったであろう。 

小学校の頃は溜池や海の堤防で魚釣りばかりしていた記憶だ。中学・高校は軟式・硬式テニスばかりしていた記憶で、勉強などは二の次であった。大学を受験するきっかけは、うちの大学でテニスやらないかと大学生の先輩の知人が誘ってくれたからだ。

 

高校生の頃は、父親と同じように製陶工場で働けば良いというくらいに思っていたのだった。1年間の浪人時代があってテニスの腕や体力を失ってしまったが、楽しい学友たちとの勉学は魅力的であったし、肌に合った専門分野であった。これ幸いと学部を終えて、さらに大学院2年間もあっという間であった。

 

それから33年、研究に関してはやりたいことをほとんどし終えたような感じでもある。辞職の年は、ちょうど形ばかりの学位を取得した年でもあった。そして、自分のやってきたことを次の世代に伝える意義もある。学位をとった大学院のゼミには以来、毎週通って院生の発表を聴いている。

 

企業戦士の多くは会社を離れると、何をやっていいのかと途方に暮れる男が少なくないという。そういう人と、定年後も生きいきしている人の比率は2対8とか。定年退職者に会って取材して、本にまとめた著者がラジオで語っていたように思う。 



その著者は元気な定年男は、仕事以外にやりたいことを現役時代から兼ねていたり、子どもや若者との接点をボランティアなどで持っているケースが多いという。さらに、少年時代を過ごした地域と祭礼などで深く関わっていることも大事なのだという。

 
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 大学の非常勤講師などは、なかばボランティアのようなものではあるが、その若者たちと関わりあっていられることが、けっこう大事なことのようでもある。料理も結婚して以来25年ほどやってきたことで、ほとんど主夫業に近くなっている。

そして、テニスも相変わらず週1回ではあるが80分動いてさほど苦にもならない。釣りも昔に比べると魚影が薄くなってしまったが、また楽しみになっている。仕事であった事への意欲が薄れていくのも致し方ないような気がするのであった。