ファール
 
自分が小学校6年生のころというと、もう半世紀も前の事になるのだ。1学年1クラスという小さな学校で5・6年時の担任だった教師の葬儀を知らせる看板が、国道沿いに立てられたのは、昨日の事だった。

課外活動であったのはソフトボールだけであった。クラスの男子が半分くらい入っていたであろうか。


彼はソフトボール・チームの監督でもあり、僕はレフトのポジションでレギュラーか補欠かぎりぎりの所にいた。本格的な市内の学校トーナメント戦に向けて隣町の小学校のチームと練習試合が組まれたのは夏休み明けだったような記憶だ。
 
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2005~2012  常滑レポート index
そして、その時、僕は先発メンバーとしてレフトに立っていた。何回の守りの時だったか定かではないが、ゲームが始まってしばらくすると、相手チームの2番打者がレフトのライン寄りに大きな打球を放った。


僕は、それに反応して右に走り、ラインを踏み越えて、そのフライをキャッチしたのだ。それ以外のプレーは、何一つ憶えていないし、相手のピッチャーの球は速く鋭く手が出なかった。そして、かなりの点差で負けたのだった。

そして、晩秋に中学校で行なわれたトーナメント戦では、僕は補欠としてベンチにいた。一回戦であたった相手学校のピッチャーも、すごい球を投げた。そして、わがチームは完封負けを喫した。僕は代打として最後の打者に出て、見逃しの三振をしたのだった。
   
やがて、中学に上がりテニス部に入ると、「あのときの僕の大ファールを捕ったの君だよね」と声を掛けてきたのが、彼であった。彼はチームのレギュラーとして、団体戦に2年生の時から出場し、成績優秀にして生徒会活動でも役員になるという、実に目立つ存在であった。

彼は学区の最難関の高校に進み、地元の大学を出て地元の自治体職員となっていた。僕は早くに働くことを考えて職業科の高校に進み、なぜか浪人して大学へ進み、大学院の修士課程を終えて、地元の資料館の学芸員に採用されたのだった。そう、そこの市役所に彼がいた。


 
村上春樹の近作が描いた名古屋圏では、こんな空気が流れている。そして、その中でどうもこの空気を呼吸する事が、しっくりこないという、居心地の悪さを感じ始めている。それは、大学生のころに東京の空気を吸ってしまったからなのかもしれない。

あるいは、愚鈍なころの自分に戻っていくことを予感しつつ、何がしかの抵抗をしようと脳細胞が働いてしていためだろうか。過ぎてしまった過去が現在を規定する。しかし、経験の蓄積は、同じ愚鈍には戻れないようにしている。
 
 
しかし、もともと愚鈍な自分であったのだから、気張った所でどうとなるものでもない。もうやるべきことは充分にやったのだという達成感もあって、美味しい空気が流れる方向を求めて動き始めようというところだ。

そして、こんな発想をしてしまう自分を確認する度に、過去の記憶が今の自分の行動を規制していること、方向付けていることを認めざるを得ないことに気付かされる。かつて小学校最後の担任がこの世を去り、自分にとってどうにも納まりの悪かった子供時代が、それなりに受け入れられるようになったということもあろうか。

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