若者達と |
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ここ3年ほど、8月の後半の約2週間を学生、院生たちと一緒に過ごしている。博士課程の指導教授がゼミの演習としている合宿発掘への参加である。教授にはドクターの頃から誘われていたが、その頃は陣中見舞い程度にとどめていたものであった。
遺跡の発掘を長年手掛けてきた自分ではあるが、今さらながらにその粗っぽさが悔やまれてならない。それでも自分が指導を受けてきた先輩研究者のそれに比べれば格段の進展をさせてきたという自負はあるのであった。
そして、ドクターの頃の自分は、まだまだ現役という自負があり、発掘に参加すれば自分なりの方針で、遺跡を掘り進めてしまいかねない危惧が残っていた。学生に対しても自分なりの指導をしてしまうような所があったように思う。
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それが3年前から、教授と一緒に寝泊まりしつつ、酒を飲み学生の話を聞きながら遺跡の調査をするようになった。非常勤暮らしに慣れ、院生、学部生ともに講義やゼミで顔なじみの面々であることも変化要因の一つではある。
宿は男女で別の地域公民館を借り、男子宿は2階部屋が教授と僕と4年生が一人、1階の二間は3年生と2年生。1階は部屋ごとにクーラーがあるものの、2階は扇風機と窓からの外気にたよるのみだ。
合宿では、弁当の手配や現場で飲む麦茶の準備、レンタカーの運転手、そして調査後のミーティングでの司会進行などなど、いろんな役割がある。学部4年生は就職などで参加人数は少なく、2年生は初めての体験となる。 |
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勢い3年生が中心となる。昨年の2年生を見てきた自分からすれば、たった1年で随分成長するものである。個人差はあるものの、明らかに主体的な動き方ができるようになっているのだ。
が、しかし、教授の側から見ると段取りが今一つであることも否定できない。朝起きて、準備して、現場に向かい、到着後の現場のセッティング、調査区に入って調査、休憩、昼食、調査後の後始末、そして会議室に戻っての全体ミーティング、晩御飯のお弁当、会議室の掃除、そして車に乗ってスーパー銭湯での入浴、コインランドリーでの洗濯などなど、いろいろな事のこなし方にロスが多いのである。 |
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調査の段階で土運びや濡れた坂道などで奇声を発しており、時折常軌を逸したような体の動きを見せるのである。一緒に動いている男子2年生に聞くと、彼は風呂の帰りなどの車中で暴れることがあり、あいつは発狂するという声すらあったのである。
さほど深くも考えずに、困ったものだ、程度の認識であった自分も、調査最終日前夜の男女合同での飲み会の時に、彼の抱える問題の深刻さを思い知らされる事となった。乾杯のあとの自己紹介で彼は発作を起こした。 それは、明らかに別の人格が彼を支配し、3年生の一人に対して怒りを爆発させ、今にも殴りかかろうとしたのである。その眼付は狂気を宿しており、それまでの彼の控えめな態度は激変しているのであった。 |
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彼の近くにいたOGが、殴りかかろうとする彼の腕を掴むと、その動きは止まり、別の3年男子が彼を抱えて、会場の外へと連れ出した後は、和気あいあいと何事もなかったかのように自己紹介が進み楽しい飲み会になったのだが。 外に出て狂気がおさまった彼の所へ出向いた教授は、彼から子どもの頃の学校での辛かった記憶を聞き出し、彼が怒りを向けた3年男子の顔つきが、彼を辛い思いに追いやった教師に似ているという事であった。
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自宅からの通学で酒も飲まず、他人と一緒に風呂に入るような経験もほとんどない暮らしをしている彼にとって、ハイエースにのって同級生と毎日一緒に風呂に行ったり、飲み会で飲みたくもない酒を飲まされるのではないかという時空で、衆人の注目を浴びてするスピーチなど、ストレスがマックスとなり、トリガーが引かれてしまうのであろう。 異様な体の動きや声の変化など、過呼吸気味になっているのだろうか。パニック障害なんていうのも関係しているのかしらん。とにかく、なにがしかのメンタルケアが必要だと思わざるを得ないのであった。そして、彼のこれからの人生はどうなるのだろう。
小中学校では2学期が始まる頃に登校できなくなったり、最悪のケースでは自殺にまでいたる児童がいると言われる。彼の小学校だか中学校の生活は、いったいどのようなものであったか。集団への同調圧が強いこの国では、それに適応できない個性を持ってしまうととても生きづらいことになる。
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