ヌートリア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
畑の下の池にヌートリアが一対で住み着いて、子供も三匹いた。去年の今頃は毎日のように見かけたのだが、今年はどこかに移り住んだのか全く姿を見せなくなった。時々畑に上がってきてネギを齧られたこともある。孟宗竹の筍の根元もよく齧っていた。 外来の有害生物で駆除を奨励している県もあるという情報に接したので捕まえて食べてやろうかと考えた。鼠を食べるのはニューギニアあたりでは普通の事だったはずだ。でも、そんなに食べたいわけではない。駆除してついでに美味しければ一石二鳥だ。 |
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まず、ヌートリアはけっこう近くにやってくる。飛び道具はなくても良さそうだ。しかし、こちらに気づけば逃げる。まず竹槍でも作るかと考えて実践。さすがにヌートリアも命懸けとなると必死に逃げていった。 昨年の暮れぐらいのことだったろうか。それ以来見かけなくなったように思う。その時、仕留めそびれはしたもののなんだか心がざわついた事を今も忘れない。そして、池で鮒を釣る針に亀が掛かるようになった。冬眠からの目醒めで腹ペコなのだろう。 |
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赤耳亀は在来種のクサガメやイシガメの棲息に脅威となっていると聞く。これまた食べてやろうと思うのだが、どうも美味そうにない。さらに甲羅に引きこもるやつの首を撥ねるのは容易ではない。敵も必死だ。 無駄な殺生もどうしたものだろうななどと逡巡し始めた頃合に必死に逃げていく。これを食べなければ生きていけないとか、殺さなければ大事な食べ物が食べられてしまうといった現実があれば、心のざらつきなんか構っていられないのだろうが、今時は飽食の時代だ。 |
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人間は人間を殺すことがしばしばある。多くは殺さなければ殺されるという状況にあるときだ。さらには、あいつは、奴らは人間じゃないと相手を認識した時だ。イシスに典型的に現れているが、宗教に基づく敵対など。 ホテルルワンダという映画に現れた民族間の対立もそれであった。フツ族とツチ族。キリングフィールドという映画も忘れられない。ポルポト政権によるインテリ虐殺は思想に基づく差別化だ。そして、奴らは人間じゃないと知識階級を虫ケラのように扱うことができた。 |
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イサム・ノグチの評伝を読むと彼の少年時代、湘南の小学校では酷い苛めに遭っていたという。子供の集団は異分子をいじめて排除しようとする傾向にある。どうも法律でどうこうできる事でもないような感じだ。 ボルチモアの騒動もやはり人種の違いが根源に存在する。昨今のネット右翼と称する連中の嫌韓・嫌中の声高な発言も嫌なザラつきを感じざるを得ない。 |
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ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスが消滅したのは、ホモ・サピエンス・サピエンスにとって、奴らは人間じゃないと認識されたからではないかしらん。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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