うさぎ追いし  
ゼロ円食堂という企画のテレビ番組はお気に入りで、『鉄腕ダッシュ』は欠かさず観てしまうのだが、商品というのは実に厳しいハードルをクリアしなければ成り立たないのだなと、いつも痛感するのであった。

ブータンの八百屋では棚にトマトが並んでいて一番端にあるのが腐る寸前で一番安い商品だと報告していたのは南伸坊さんだったかな。日本のスーパーでも半額シールを貼った商品のトレイがあったりするけど、さすがに腐りかけたた商品はありえない。
 
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2005~2015  常滑レポート index
スーパーにはいろんな食材が並ぶけど、商品となるには美味しくなければいけない。美味しくても調理に手間が掛かるようなものは売れない。仕入れが容易で安価でなければ商品にならない。安定して供給できなければいけない。品質も安定していなければダメです。

子供の頃、父親は小舟を持っており週末ともなると早朝から船に乗って釣りに出かけていた。豊穣の海であった。今頃ならキスだ。ぬめりコチ・ノドクサリもよく釣れた。父親は刺身にしていた。


キスはスーパーに並んでいるがノドクサリは見たことがない。ヌメる皮の処理法を知らないのだろう。刺身でも天婦羅でも煮魚でも絶品の食材なんだけど。しかし、子供の頃にいくらでも釣れた魚がめっきり釣れなくなっている。
 
幸いにハゼとセイゴは未だにそこそこ釣れる。かつて魚影の濃かった半島の南の方より、都市化の進んだ中北部の漁港の方がよく釣れるのは皮肉な現象だ。そして、ハゼやセイゴがスーパーにならんでいるところを見たことがない。

ゼンメ・ヒイラギは最近並んでいて、これがなんと千葉県産だとか鹿児島県産だったりする。亡父とよく釣ったアイナメは、昨今めっきり釣れなくなった。スーパーに並んでいるのはどれも青森県産だったり岩手県産だったりする。ここは伊勢湾に面する愛知県のスーパーなんだけどなあ。

野菜となると、これまたスーパーには立派な商品が並んでいる。そして、規格外の廃棄された野菜も多いことは当たり前だ。ゼロ円食堂で毎回観る光景でもある。なにせ、この成熟した市場の選択はとても厳しいのだから。
   
広大な畑を有する小生は全く商品作物を作ることができず草刈ばかりに汗を流している。最近ハゼランという可憐な花を付ける植物を路傍で見かける。FBに画層をアップすると葉っぱは食べられるという情報を寄せてくれた人があり、早速お浸しにしてごまドレッシングなど掛けて頂くと、これがとても美味しい。

刻むとオクラやモロヘイヤのような滑りがある。鶏の笹身を茹でて茹でたハゼランとサラダにしてもいける。天ぷらもいいかも。天麩羅といえば、一昨年だったか悪名高き外来植物のセイタカアワダチソウを食べたことがある。
 
  2005~2015  常滑レポート index

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食べられないというほどではなかったが、美味しいというものでもなかった。美味しかったら畑にいくらでも生えてくるのだが。流石に世の中そんなに甘くないね。それにしてもセイタカアワダチソウなんて僕が父と船に乗っていたころには見かけな草であった。

ハゼランに気がついたのもここ2・3年の事で子供の頃には見かけない草であった。魚でいくと筍メバルという魚が堤防でよく釣れる。メバルとカサゴの混合種みたいな魚で唐揚げにするとけっこう美味しいのだが、子供の頃には見たことがない魚だ。
 そういえば子供の頃は餌のゴカイは干潮時に潮の引いた瀬でいくらも採れたものだが、昨今は瀬の小石をひっくり返してもゴカイの姿が見えなくなった。小さな蟹はいくらも捕れるのだが、この餌で釣れる魚は少ない。

黒鯛などは蟹で釣るというが、試みても坊主ばかりであった。それは、昨年のことだ。そして、石ゴカイとか青虫を買うことになる。時代は変わっているんだと痛感するね。そういえばゴカイを取った境川の河口の瀬はもうなくなっているし、川そのものが三面コンクリートの下水化しているのであった。なんてこった。