絶好調な時  
   
岸田さんが収賄で検挙された。新聞記事が出たのは熊本・大分の震災が起こって2日目だったか。太陽光発電事業に先立つ測量で仕事を斡旋し、測量会社に俺も100万円くらいもらえんかと持ちかけ、後日受け取ったという。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041501054&g=so。http://mainichi.jp/articles/20160416/ddq/041/040/022000c
 
常滑レポート index
05/08  絶好調な時
十年一日 
亡父七回忌
天然物 
2015年末2016年始
2005年の早春
ゆたかな時間
仙境 
 世代交代 
うさぎ追いし
孤独 
研究姿勢 
ヌートリア 
急須
石から鉄へ 
縄文時代 
年の瀬に 
乙未 
だいえっと 
完全主義 
 さいてん 
 定説くずし
 振り返りつつ
 夢のような
名前の世界
予定調和
かめら
論文提出 
 こんびに
小鮒釣りし
 論文提出
前近代・近代の彼方 男と女 
異 形 
ファール 
しみじみ
子どものころ
渥 美
飽和点 
世界
青い鳥
田舎暮らし
 日記
 自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2016  常滑レポート index
もと市の職員で都市計画事業や企業誘致といった土地絡みの仕事をやっていたので、個人的にはそれほど接点はなかったが、かつて上司が都市計画から人事異動でやってきて同僚だった岸田さんがしばしば資料館にやってきたことがあった。


その後、彼も教育委員会事務局に移り、時折やってきた。その後、資料館が陶芸研究所と統合して経済産業部に入ったとき月に一回の部課長の飲み会があり、一年間月一で顔を合わせることになった。
 
かれの口癖は合法的な悪事だったかな。今回の事件に至るまでにスレスレの事がかなりあったものと思う。中学時代は番長で他校に喧嘩に出かけていたといった話を聞いたのは20年以上前の事だが、市役所に入ってからは幹部に可愛がられていたとも。

用地買収などの仕事は綺麗事では進まない。ごねる相手をあの手この手で攻め落とすなんていうのもありなのだろう。そうした修羅場をかいくぐって来た彼は、満期定年退職して市議会議員に当選したのだった。
   
僕と同期採用だった若手の課長は岸田氏を尊敬していた。それは、普通の職員ではおよそ出来そうもない大きな仕事を安安とこなしていく手腕に惹かれてのことだったと推測する。飲み会で話すと彼はそれなりに魅力的な部分も無くはなかった。


岸田氏が当選した選挙で落選した僕と同学年の市議会議員は、残念ながら議員であることを鼻にかけて実に嫌味な言動が4年間続いたものだ。落選して以後、体調を崩していると聞くが次点繰り上げとなるのかしらん。
 
  2005~2016  常滑レポート index

 page top     
因果応報などと云う訳でもないが、いずれ器以上の中身は盛れないのかと。不思議なものだが、その器はどのようにして形成されるのか。過去に自分の器を勘違いした経験がある。ちょっと多くを盛りすぎて顰蹙をかったのだが、その時は調子に乗っていたのだと思う。


調子に乗ることができるという過信を自分に持っていた。岸田さんも議員になって乗っていたんだろうなあと思わずにはいられない。学校の成績が良くても社会に出てから全然表に出てこないという人は少なくない。役所などにそういう人材は少なくない。そこに行くと大学に行くより喧嘩のほうが好きだという人材が社会で成功するという事例も少なくないだろう。
 僕が就職した頃の市議会議員には、その手の人物が何人かいて驚かされたものだが、まさに岸田さんはそちらの人だった。本人は容疑を否認しているというから裁判で無罪となることもあろうが社会的制裁はすでにキツク下されているというほかない。

親から受け継いだ身体や気質のようなもの、育った時代や環境、そして受けた教育や出会った友人などによって人間性は醸されていくのだろうが、高い山に登ればのぼるほど谷も深くなるのも事実であろう。

バトミントンの世界ランキング2位という信じられないような才能に恵まれ、それなりに努力した桃田選手が賭博で選手生命を奪われるほどの落とし穴に落ち込んでしまった。天才の教育法が間違っていたのだというが、世界で勝負できるほどの能力を持ち成果を上げていたら僕も同じように落ち込んでいたように思えて仕方がない。