感動せんとや生まれけん
 
常滑レポート index
11/17 感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index
 どういうものなのだろう、名も知れぬ高校生が携帯の日記にでも書き残した部活に対する想い出の文章に涙が止まらなくなってしまう。彼の高校が息子の通った学校であり、柄にもなくPTAで深く関った学校だからでもあろうか。

 やり手がなくて引き受けたポストであったが、終わってみれば、自分の財産となる体験であり、こうして名前も顔も知らない若者の想い出に心を共振させることができるのだった。
 
   
   
 色づき始めた木々の葉を観て感動し、草原に咲く野菊の花を観て感動し、秋刀魚を食べ茸を焼き、魚を釣って料理し、酒を飲んで感動する。まことに感動するために人は生きているのではないかと、いささか脳天気な想いに耽ってしまう。

 古来酒は米搗きの仕事と絡んで女性の仕事であったと論じ、古代の説話にも酒造りを生業とする女性の姿を見出すのは帝京大の義江明子先生だ。口噛みの酒と称する蒸した米を噛んで唾液と混ぜて糖分を挽きだし、これを乳酸発酵させる。こんな仕事は早乙女にこそ似合うに違いない。
 
 各地の神社で神に捧げたのもこうした酒であり、それは収穫を共同体で祝い、さらには来る年の豊作を祈るための捧げ物でもあったと思われる。仏教は飲酒を嫌うが日本の神々はこれを求めてやまない。

 仏教は殺生を忌避するのに対し、神々は魚や獣の肉なども捧げることを求めるのであった。天台教学がもたらした本地垂迹説は神々も姿を変えた仏の化身と観て、その神社の運営を寺院がとりしきる体制をひいた。そこに移行するのがおおよそ平安後期。
 
 
 そして、その頃ともなれば公民の平等な共同体も崩れ土地の私有が進み農地が特定個人に集約される。そこで求められる労働力の集約に不可欠なのが酒肴の提供ということになる。律令的国家体制からドロップアウトした人々が、そこに吸い寄せられていく。

 富裕層となった人々が家人を抱え、かつての共同体の神の祭事であった魚酒の振る舞いを個人的に行なうことで地域権力を醸成することを律令国家は嫌い、さかんに魚酒を禁じるが、やがて開発領主の中からは武士層が生まれ、律令国家を崩壊させてしまう原動力となる。

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  武士が好んで飲んだ酒は、もはや村の神々の酒ではない。しかし、平清盛の厳島神社や頼朝の鶴岡八幡宮に象徴されるように武士は敬神の念深き存在でもある。

 かつて階級闘争を歴史に見出すことに熱心だった研究者は自分自身もまた、社会の中で階級闘争を求めて闘っていた。そして、歴史資料の中に自分の姿を、また身をおく階級の姿を見出して感動していたのだと思う。
 
 
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バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index

 
  そして今、階級闘争という物語のゴールがユートピア幻想の賜物に過ぎないことを知ってしまった研究者は、歴史の中の何に共振するのだろうか。とりあえず、その端くれにぶら下がる自分は酒および酒造りの中に溺れ、そこに陶器の甕や壷が重大な役割を担っていたことを見出し、嬉しく、また感じ入っている昨今なのであった。