笛を吹いてはならぬ |
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2005~2011 常滑レポート index |
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自分で定年後のライフスタイルを描き、予測していた青写真が、このところ大きく変貌してきている。 そして、その変化の中にかつて濃密な付き合いをしていた友人と、その友人の友人、あるいはお弟子さんといった人脈が絡んできている。実に面白く刺激的ではある。 |
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かつて学生時代を過ごした東京は、なんとも体に馴染む空間であり、このところしばしば訪れては歩き回っている。学生時代は、さほど動かず杉並・世田谷・中野・御茶ノ水・神田・上野・新宿・渋谷といたところが活動範囲で、それ以外はほとんど出向いていない。 むしろ常滑に帰ってから、工芸関連の人脈ができて六本木やら銀座、京橋、赤坂、麻布といった、いかにも東京的場所に出向くことが多くなったのだった。 |
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できることなら、もう一度関東圏で活動ができるような。なんてことを最近は夢想している。これまで、こうした夢想は、結構実現されているので案外に現実のものなるやもしれない。 常滑に戻って30年、実はもっとも親しく接してきたのは例外もあるがエトランジェとして常滑に暮らしている人々だったように思えてならない。ドメス系は案外苦手なのかもしれない。勿論例外も少なくはないが。 |
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実家には老母が居るし、老父が愛した畑もある。高校まで暮らした田舎は、とても捨てることなど出来ない産土の地である。その一方でわが子供たちは、アパートのある現住地が産土の地となってしまった。 彼らにとって爺・婆の家屋敷は想い出の地ではあっても受け継ぎ守るべき本貫の地たりえないのである。想へば遠くへ来たもんだとついつい呟きたくもなる。そして、自分はドメスティックに故郷に納まることができない存在になってしまたことを強く自覚する。 |
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常滑は実に愛すべき地である。学生時代、最初の夏休みに帰省したときなど駅に立って涙がこぼれそうになったことを今も忘れることがない。そして、その一方でどこか粗野な人々の体臭のようなものに馴染めないこともあるのだった。 故郷は遠きにありて、とうたった犀星の気持ちも判らぬではない。ドイツの封建制に終焉をもたらした都市の空気は自由にするという現象も、あるいはこんな気分だったのかもと。 |
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阿部謹也先生の快著『ハーメルンの笛吹き男』を読み直したくなった。いずれ誰かの笛の音に誘われて出・常滑となるような予感がする。 |