異 形
 
縄文時代に生きた人々は、だれもが土偶を作りえたのだろうか。きっと、そうではなかったと思う。

だれもが土器を作ることはできただろうし、できなければ自分の生活がとても不如意なことになる。

食べられるものは身近にあっても、加熱処理せずに食料となる食材となれば、ずいぶん限られる。そして、生ものは腐敗する。

多くの縄文人は鏃を石から作ることができたはずだ。鏃に限らず斧やスクレイパーの類もだ。それでも、ヒスイの大珠となると原石そのものが容易に入手できない。
 
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08/19 異 形 
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2005~2012  常滑レポート index
石鏃は剥片のとれる石材であれば、なんとかなる。チャートはそこここに落ちている。

土偶は粘土が材料なのだから、土偶を作ることは出来の良し悪しを別にすれば困難なことではない。しかし、土偶は土器と違って食と絡まない。なくてもかまわないものなのだ。

弥生時代ともなれば青銅器や鉄器が現れる。弥生時代の限られた人々のみが、それらを作りえたのだ。ガラスもまた然り。鉄の武器は圧倒的に強い。しかし、銅鐸や銅鏡は食料の獲得に対して何ら有効性を発揮しない。

鬼道に仕えたという卑弥呼の存在が、やはり圧倒的だ。青銅器の祭器がクニの支配に実効性を持っていたということか。
   
土偶や銅鐸や銅鏡の類が、神仏という存在と繋がることは容易く想像できるし、おそらく間違いではない。その基盤から、仏像や神社が立ち上がってくる。

鉄の武器を集約し、他を圧する力を持ったものが巨大な前方後円墳を築き上げた主役であろう。古墳を埴輪で飾り、葺石で荘厳し、彼等の死は肥大していった。そこには、土木から木工、石工、陶工、金工などなどの職人が深く関わっている。

そして、仏教の伝来となる。絵画が彫刻が本格的に登場する。それは装飾古墳などの比ではない。寺院に展開する空間が、どれだけ異次元のまばゆいばかりなスペクタルであったことか。
 
やがて、宮殿の装飾などにもその技術は取り込まれ、さまざまな美が有力者の周辺に集まることとなる。そして、産業革命に一気にスライドしよう。憧れの西洋だ。芸術の都だ。


さらに、戦争があって復興があってアメリカがあった。そして、今、美しいもので市民は満ちたりている。世界はポケットの中に入っている。スマホを覗けば絵画も彫刻もなんでもありだ。



それでもなお、その中に美を注入する連中がいる。明らかに特権をもった選ばれた存在なのだろう。もっとも人々の好みは多種多様だ。そして、市場には隙間がいくらも存在するのである。
 
 
安価な量産ものでも充分に美しく洗練されている。いわんや工芸品においておやである。

その安価で普通に美しい工業製品をさらにアレンジして美しく飾り、まるで神の空間を生みだしてしまうのは誰でもできるものではなさそうだ。
 そこには、ただの美しさだけではなく妖気が漂う危険な匂いが溢れている。見てはいけないものなのかもしれないという、不安を見るものに植えつけるのだった。それでも、見ずにはいられない。


画像はいずれも、あいちトリエンナーレ2013納屋橋会場における片山真理のインスタレーション作品より。ぞっこんである。
 
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