日 記
 
常滑レポート index
01/30    日記
 自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2012  常滑レポート index
10年まえのことが昨日の事のように思われるのに、昨年のことが随分遠い昔の事であったように思えたりと、まことに不思議なのが記憶の仕組みだ。こうなると、何年に何があったとか、何歳の時に何をしていたのか、そうした記憶はとても曖昧になる。


そんなときに日記など付けていると、その内容を見ながら振り返ることができるのだ。19才から書き出した大学ノートの日記のような雑記帳が30冊くらいあって、それは30年分ほどの記録になっている。
 
   
そして、ここ10年くらいだろうか、その日記を書かなくなっているのだった。不思議なもので、若い頃は日記を見て過ぎたことを振り返ることなどしていたのだが、このごろは、そうしたこともしなくなった。


日記帳はどこかで埃を被り、やがて捨てられる運命にあるのだろうか。ときどき、この常滑レポートのバックナンバーを遡って行くことがあるが、これもまた日記のようなものなのだろう。
 
フェイスブックというSNSを初めて、もうじき1年になろうとしてる。これまた日記の簡易版のようなもので、それに画像が付いている。過去のタイムラインなどさかのぼると、もう見れなくなっている画像があったりもして、いささか、がっかりなのだがそれでも画像の情報量というのは大したものだと関心する事もある。


過去の色んなことが想い起こされる。どうして、こんなに振り返ってばかりいるのだろうという思いも無く振り返る。人生に躓いて振り返るとは、かつて流行った歌の歌詞だが。
 
 
これまでに発表してきた論文などの業績を一覧表にして提出する必要があったことなども振り返るきっかけなのだが、30年あまりに渡り、いろんなところに毎年のように発表してきた文章の多いこと。


ただ、この先どれだけのことが出来るのかとなると、もうこんなペースではできないのだろうことも良くわかっている。人生で出来る事など、たかが知れているということか。
たしかに、自分の専門分野を見ても、かつて大きな仕事をされたと評価されていた人物が今では過去の研究の1ページを作ったという形で表面的に紹介すれば足りる程度の扱いになることも少なくない。


いや、そうした記録も残らず消えていく人々の方が、はるかに多いのだ。芸術の分野でも時の権威であった人々が、今はまったく無名に近い存在になっているということも少なくはない。


歴史は、こうして無名に近い多くの人々の営為の積み重ねで動いていくことだけは間違いない。歯車が噛み合う様にして人間社会は動き、時代も代わっていく。個人の記憶などおかまいなしに。
 
 
常滑レポート index
01/30    日記
 自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2012  常滑レポート index


 page top