行く末の記
 
常滑レポート index
08/04   行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index
振り返れば随分といろんなことをしてきたと思う。学生時代が昨日の事のように思える一方で、今の自分の姿を学生時代に想像しえただろうか。出来ようはずもない。

小さな町にもどって早30年が過ぎた。地方都市でありながら焼き物という産業を基幹としてきたことで随分と個性的である。

その個性的な町には個性的な連中が集まり、彼・彼女等と関る事でいろんなことができたのであった。そして、このフィールドがもつ全国的な影響力も有難かった。そのフィールドを研究対象としたことで達成できたことの多かったこと。そして、それを通じていろんな人との出会いがあった。
 
   
   
おそらくは、これまでの積み重ねを遺産として悠々と定年後の日々を送れば良かろうなどと気楽に考えていたが、どうもそうは問屋が卸さない。思わぬところに切り替えポイントがセットされていたという感じだ。

気力・体力とりわけ視力に減退を感じる今、さらには、いまだ健康で一人暮らしもできてはいるが老母を抱える身にとって、そうそう無謀なことも出来ないのだろうが、さりとてここにしがみ付いているように見られるのでは自分の美意識が許さない。
 
惜しまれつつ荒野の彼方へと旅立つ「シェーン・・・・」というのが美しいのだ。思えばいろいろと世話になった先輩知識の面々も鬼籍の人となっている。この人の知識が自分にあればと憧れた人も居なくなれば、居ないで済んでいくのだった。

そして、このごろはネットによる知識の共有が進んだ事もあってか、これまで自分が経験してきたような知識に対する欲求が薄れてきているように思えてならない。そして、難解な事柄には近寄らず素通りするという傾向も随分強く感じる。
 
 
一方でダンスやスポーツなど身体機能を駆使する表現・活動には多くの共感が集まる。人気のダンスはブレイクだったり、ヒップホップだったりだが、映画「Shall We Dance」の映像は脳裏に残っている。悪くない。

そして、その対極にあって気になるのが座禅だ。禅が内包する研ぎ澄まされた美意識を体感するべく、やはり一度ならず体験してみたいと思えるのである。そこから、さらに茶の湯という方向も悪くない。さてさて、こうしてみると、まだまだいろいろと広がって行きそうな予感だ。
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