楽園にて  
   
秋は里芋の季節だ。草が繁茂する楽園では、辣韮と分浅葱が主な作物で、その外となると春のじゃが芋、夏のオクラ、そして、秋の里芋くらいしか収穫できない。ホームセンターで、ナスやピーマンの苗を買ってきて植えたことも何度かあるが、ほとんど収穫できなかった。

そう云えば韮もそこそこ収穫できるが、とても細くて短くて、しかも硬い。何にしても商品となるものは、立派で揃っている。プロの仕事なんだなあとスーパーで買い物しながら、つくづくと感じ入る。
 
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それでも、自家消費であれば見てくれはどうでも良いわけで、それぞれの味がしっかりすれば事は足りるのだ。ときに友人、知人にお届けすると、喜んで貰えたりもするのが辣韮だ。生で味噌を付けながら食べると意外に乙である。およそ、どこのスーパーにも並んでいない代物だ。

料理もプロのお仕事を味わう度にほれぼれするのだが、毎日食べるというわけにも行かない。家庭料理ともなれば、扱う食材も調味料も道具も限られるのだから見劣りするのも致し方ない。
 
それでも、四半世紀もやっていれば、そこそこなモノを造るようになる。和・洋・中で煮て・焼いて・蒸して・揚げてと。鶏・牛・豚の肉、魚は種類も数々。ホルモン系もけっこう揃っている。季節によってメニューも変わるし、釣った魚も時々混じる。

自分が子供であった頃の食事を思うと、隔世の感がある。なんと豊かであることか、飽食の時代と思えなくもない。そもそもスーパーなど無かったんだから。もっとも、一人暮らしの老母は、今も昔とさほど変わらぬ食事をとっている。
   
料理を楽しむという風ではない。ネオ菜食主義者だ。食の欧米化が、日本人の病気の全てにおいて、悪い影響を与えているという話を耳にするが、欧米では主食と副食なんて区別がないとも聞く。

USAが官民あげて取り組んだ肥満対策は、脂肪摂取を減らして植物系の食べ物をという方針であった。そして、それを長く続けても肥満率は下がらなかった。問題は澱粉などの炭水化物から脂肪がいくらも体内に蓄積されるということだ。
 
   

僕が子供の頃、あれほど豊かで輝いていたアメリカが、大統領選に象徴されるけど、なんだかなあ、というイメージに変わってしまっている。古き良きアメリカをと叫ぶ候補が、その支持母体の勢力がプア・ホワイトと呼ばれる人々だという話なんだから。

 
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 さて、わが楽園の畑の周囲は稲刈りを終えてヒコバエの季節となった。しかしながら、その水田ばかりの光景は、いささか異様に思えるのは、やはり炭水化物であるからだ。食材が豊かになった今日、コメばかり作る農業は無理があるのではないのだろうかと。