こんびに
 
工芸と呼ばれる分野が衰退傾向にあることは、デフレ構造が一向にインフレへと転換していかない現実を見れば明らかで、世間にモノは溢れている。実際、食料品以外の買い物で必要不可欠なものは極めて少なく、かつ安価である。

従って、高価な工芸品を購入するのは一部の愛好家に限られ、その愛好家も収納に苦慮するという現実の前でたたずんでいる。食料品を購入するためにスーパー・マーケットに入れば、歯磨き粉やブラシがあり洗濯洗剤も柔軟剤もトイレットペーパーもラップも文房具も、電池も電球も肌着もある。
 
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2014 01/04  こんびに
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2005~2012  常滑レポート index
そして、この1年で肌着以外の服を僕は購入していないように思う。買うとすれば量販店やユニクロであってデパートには滅多なことではいかない。エリートサラリーマンともなれば別なのだろうが田舎の自治体職員の身では、いずれ似たりよったりなように思われる。

その自治体の懐事情も職員同様に寒く凍えそうな状態が長く継続しているのが現実であって、吹くのはリストラの風ばかりという現実である。かつての人数の半分くらいになった職員で減らない仕事をこなしているのであった。

そうなってくると学芸員などという専門職は肩身が狭い。大学の非常勤などでもやろうものなら本業をさしおいてアルバイトなのかということになりかねない。
   

デパートでも高級時計などブランドものがアベノミクスとやらの経済政策で好調に売れているという報道も耳にしたが、残念ながら縁がない世界だ。しかし、それらは工芸に近い領域だと思う。やはりあぶく銭がないと生き残れないのであろうか。

もっとも身近なデパートのコーナーは地価の食料品売り場だ。ここはいつも客が溢れている。そして、スーパーより割高な商品が売れているのは品質がそれなりに上だからという事なのだろう。そして、食料品はいずれ吸収され、排泄されるものなのだ。

携帯があれば固定電話はいらない。コンビニやデリカなどの食料品で済ませれば食器も調理道具も必要ない。冷蔵庫だってコンビニにあると思えば電気代が無駄ということだ。そして、100均にシンボライズされるように、安価な商品がいくらもあるという状況だ。
   

その商品がいかにも安物でみすぼらしいものであれば人目も憚ろうが、当節そのような商品はいくら安くても売れない時代だ。土産物でも、みなそこそこ美味しいし。

要するに量産品でもハイグレード化が進み、少人数で多角的な仕事をこなし、しかもさほどに高い給料を必要としない状況があり、モノを持たなくてもやっていける時代が現代なのだということになる。

その認識に立って、さて何ができるかなのだろう。多くの人が求めるものはスーパーマーケットに並ぶものだ。スーパーになければホームセンターかユニクロ系量販店、そして、コンビニ・100均に並んでいる。しかも、そこそこの品質で。
 
 
では、そうしたコンビニエントで安価でない商品はと見れば、百貨店ということになる。さらに、隙間を縫うような商品はネット通販になろうか。ギャラリーやブティックなんでのも、それと近い業体なのではないかと思える。

では、デパ地下に対応するような器系の工芸の売り場はあるのだろうか。いや、デパ地下のようなギャラリー・ブティックはあるのだろうか。それは、しゃれた器で料理を出すレストランということになるのかな。売り場ではないが、使い手であり消費者だ。そこでは料理の素材もこだわり、生産者と直接取引をするところが多いようだ。それはデパ地下の食材コーナーにも並ばないようなものなのだろう。

そんなものが、おいそれと作れるわけではなく、いずれ道は険しいことになる。生で食べるラッキョウを作っている。味噌と一緒に知人に届けると喜ばれるのだが、これが売り物になるかというと話は別なのだ。そういうものならいくらもある。
 
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