さいてん  
外気温が体温を越えて38度に達したとラジオでアナウンサーが伝えている。バスタオルが手放せない。いよいよ夏本番だ。前期2単位のレポートを毎日の様に読んでいる。

みんな、そこそこに形を整えていて悪くないのだけれど、読んで感心させられるというレベルのレポートには出くわさない。情報源が共通しているのがよく解る。
 
常滑レポート index
08/07  さいてん 
 定説くずし
 振り返りつつ
 夢のような
名前の世界
予定調和
かめら
論文提出 
 こんびに
小鮒釣りし
 論文提出
前近代・近代の彼方 男と女 
異 形 
ファール 
しみじみ
子どものころ
渥 美
飽和点 
世界
青い鳥
田舎暮らし
 日記
 自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2014  常滑レポート index
レポートをPCで書かせるとコピー&ペイストで作成する学生がかならずいるので手書きとしたのだった。字を書くことで憶えるということもある。人文系の学問は答えが一つではない。問いかける角度によって答えが変わることだっていくらもある。

先ずは関心を持つことが大事なことであろうと。そして、ネットのブログ系情報にはおよそありえないような事が平気で書かれている。俗説・妄説のオンパレードといっても過言ではない。そんな情報をレポートに書いてくる学生がいるのも驚くことではない。
   
そこへいくと活字媒体というのは、それなりにしっかりしている。編集者がいる本であればなおさらだ。いや、ネット情報にもしっかりしたものはいくらもある。印刷物でもいい加減なものもあるし。がしかし、相対的に見てネットにはトンデモ情報も多いのだ。当たり前のことながら、その選択力が求められるところだ。

そのリテラシーを身につけるのには、やはり正確な知識の吸収と本物をしっかり見る経験を重ねることが必要となる。結局その分野の職人となることなのだろう。さて、情報の源泉である資料そのものの見分ける力量も重要だ。
   
日本には旧石器時代がないという明治以来の定説は、岩宿遺跡で関東ローム層の中の有機土層から出土した石器群によって覆ってしまった。そして、その後、類似遺跡は日本各地で見られるようになった。

そして、ヨーロッパでいう下部・中部旧石器に相当する文化も日本にあるはずだという仮説が北京原人との関連で立てられることは当然の成り行きだった。そして、それが見つかった。初めは宮城県で、やがて岩手や山形、東京。埼玉と。前期旧石器の存在が定説化しはじめたころ、北海道の遺跡で捏造の現場が撮影されたのだった。
 
 
そう、前期旧石器を掘り出していたのは東北石器文化研究会の関った調査だけであり、なかでも藤村新一という特定メンバーが関わっているときだけという不自然な形に対する納得できる解であった。
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そして、今回の理研のスタップ細胞の再現実験だ。小保方リーダーをはずして行なわねば再現に成功したとしてもゴッドハンド小保方になってしまうことは明白だし、そんな実験を科学の世界が認めるはずがない。理研以外の研究機関でやるべき実験であるのに、そこに利権が絡んでいるからなのかもしれないけれど。