十年一日  
   
十年一日とはよく言ったもので我が家の娘がついに社会に出ることになった。父親としては、なんとも不安であるが4年間の大学生活は一人でアパート暮らしであった。なんとかなるものだ。

息子も社会人となってそれなりにやっている。彼も4年間の一人暮らしを経験している。二人とも生後4ヶ月で保育園の世話になった。昨日の事のようだがすでに20年以上も過ぎている。
 
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04/13 十年一日 
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2005~2016  常滑レポート index
ゼロ歳児保育でさらに早朝・延長保育というオプション付き、送り迎えは父親の役であったし、ともに粉ミルクで育った。3歳児神話を完全に無視している。そして、そのお陰か親に似ず友達作りがとてもうまい。

子育ては結果オーライでやり直しが効かないものだ。我が家の子供たちや私自身にしてもこれからどのような変事に遭遇するのか知れたものではない。とりあえず、ここまでの話として子育てにおける母性を母親にのみ求めることは正しくないと思われる。
 
プロの保育士はとても有り難い存在であった。それでもゼロ歳児保育を申請にいった先の園長は3歳までは母親が育てるのが自然であるという旨の説得をされていた。ゼロ歳児保育には専門性の高い保育士が必要になる。そして、保育士が受けもつ児童の数は制限されている。よって受け入れうる人数は多くはないのが現状であろう。

安易な育児放棄の手段としての保育園というのは確かに問題なのだろうが、育児ノイローゼによる心中とか幼児虐待とかの報道がいくらもある昨今、育児プロの存在はそれらの問題の解消にも繋がるように思えてくる。
   
教育熱心な母親に育てられ中学・高校・大学といわゆる一流に進んで、女子中学生を誘拐・監禁していたなんて、親にしてみれば信じがたい現実だ。山が高ければ、その分だけ谷は深くなるなどと言うが、それにしてもあまりな事ではある。

娘は卒業式・謝恩会の後、サークルの飲み会で夜通し酒を飲み、朝早々に京都へ仕事に出かけた母親に代わるように僕の泊まるホテルにやってきてチェックアウトぎりぎりまでベッドに潜り込んで寝ていた。このあたりの行動はどこか父親に似ている。
 
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安定志向な息子に対してかなり波乱含みな生き方をする娘のように思えてならない。とりあえず、一人で東京の会社に勤めるという。やりたいことをやりたいだけやるという考え方もどこか似ている。できることなら反社会的な方向には行って欲しくないけれど。