2005年の早春  
   
2005年の早春、常滑の沖合に中部国際空港が開港した。そして、2015年12月、空港対岸の埋立地にイオンモール常滑りんくうがオープンし、アクセス道路は渋滞中だとラジオの交通渋滞は報じている。

コストコという会員制のスーパーが埋立地にオープンしたのは一昨年だったか。めんたいパークなるかねふくの明太子工場兼テーマパークもある。2005年はあいち万博のあった年だから、この随想を書き始めた頃と重なる。
 
常滑レポート index
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2005~2015  常滑レポート index
2008年に起きたリーマンショックは、2001.9.11のアメリカ同時多発テロで粉砕されたグローバリズムに更なる打撃を与え、埋立地は長く雑草の楽園となっていたのだが、ここにきて中国人観光客の爆買いとかで景況は少しづつ変わってきたようだ。

りんくうのイオンも空港から無料シャトルバスを運行させることで観光客を呼び込む算段を抜け目なくしている。むしろ、国内の消費税増税とかモノあまり状況によるデフレ傾向には、はなから期待などしていないのだろう。
 
常滑焼は急須より招き猫の置物に力が入っているようだが、モールの中に常滑コーナーが入っているのは、イオンサイドでそこそこ採算が取れると踏んでいるからなのだろう。アジア人を対象とすれば土産物としての商品価値はそれなりにあるのだろう。

かつての陶芸ブームは急速に変化しつつあるように見受けられる。それを別の形で味合うのが講義なので話す話題へのリアクションだ。昨年から名古屋市の教職員OBが集まるサロンのような学校で講義をしている。同世代から先輩諸氏で向学心盛んな皆さんである。
   
ここで小山冨士夫、岡部嶺雄、加藤唐九郎、永仁の壷事件などという話をしても、多くの人が??な顔つきで聴いているようになった。昭和30年代のホットトピックなのだが、その頃、若者だった世代にとっては感心は別のところにあったのだろう。

裏を返せば戦後の日本が、どうしてあれほどに陶芸に夢中になったのだろうかという疑問にもつながっていく。伝統工芸展なども戦後のことであり、人間国宝などという制度もそれに連動している。
 
  
19世紀末の西欧における万国博覧会で日本の焼き物が賞賛され、帝室技芸員の陶芸家とか民芸運動における陶芸の活況とかは戦前から存在した。しかし、それらは殊更に伝統というところに意義をおいてはいなかった。

荒川豊蔵と北大路魯山人による志野の窯の特定、そして、桃山陶器の再評価というのは昭和初期のエピソードで、そのあたりから加藤唐九郎や小山冨士夫といった面々も登場してくるのだ。
神風が吹く神国日本という幻想が潰えさったあと、国体の護持が天皇の人間宣言と共に崩壊したあと、虚脱から抜け出る方策がどこで練られたのかは知らない。静岡市の登呂遺跡の発掘が国費によって行われ、連日原始人の優れた技術や文化が報道されたことを大学の恩師はことあるごとに話していた。今もだが。
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 神話による建国ではなく遺跡が語る列島史を戦後の教育の支柱とするのは、いかにもありうる流れであろう。その流れで文化の面でも国粋主義にできるだけ遠い侘び寂び系に力点が置かれていったと見ることもまんざらでもない。

そして、ここに来ての伝統の無力感が漂いだしているのは、もはやそこにアイデンティティーを求める事もなく、それはそれで自明のものであり、新たに辿っていくほどの事でもないという時代が到来したという事なのだろうか。