Today's image index 2023 
08/22 インクルーシブアート
恋愛の型 
(恋愛における絶対的関係性について)
 日本の俳優(主に邦画) 
 『霧のむこうのふしぎな町』
追悼 坂本龍一 
坂本龍一の今
 アップサイクル
追記
SAVOIR VIVRE の遺したもの
 SNSの終わり
 謹賀新年
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 Today's image index 2022
SNSの終わり
シエンタ セルモーター OH
 アンチエイジング
 くしゃみ😪
 中秋の名月
梅雨明け 
 墓参り
徒然に 
 韓国ドラマ 
パンデミック
 追悼・石原慎太郎
  白川静と「狂」

  Today's image index 2021
 白川静と「狂」
彫り三昧
嵐の前の静けさ 
アンドリュ-・ワイエス
  COVID-19 2nd ステージ
「人生は廻る輪のように」を読んで 
 「人新世の『資本論』 」を読んで
 Fall in love..... ?
 テニスが楽しい
お洒落をしよう!
 源氏物語原文
 了解
 距離
春の歌
 あれから10年
 コロナと家計
映画っていいですねぇ
 続・筆写スタート
筆写完了
コロナ対応 
 online shop open
Laq-ashikaga
正月
 
 

  Today's image index 2020
 大晦日 
地域の歴史 
足利乾ギャラリー
桐生市有鄰館ビエンナーレ
  加藤諦三
 日本人
web クラス会
生態リズム 
近 況
経済とコロナ禍 
サザエさん
本物が見えてくる.... 
地域資源
セーフティネット Ⅱ
 セーフティネット 
『土曜日のタマネギ』Ⅱ
Pinterest 
 救い 
urushi-art.net 
 夢想しよう
  コロナを整理
コロナストレス解消
 交換社会の逆襲
ゴールデン鶴亀ホーム
江刺 榮一の作品
 小俣中町
工房完成間近
  新年
 
インクルーシブとは、すべてを包括する、包み込むという意味です。障害の有無や性別、人種などの違いを認め合い、生かし合うことです。

 インクルーシブアートコーディネーターはすべての人がアートを楽しむための環境づくりを支える人材のことで、その人材育成事業を私たちは「インクルーシブアートコーディネーター養成講座」と称しています。全国に先駆けて群馬大学が開設しようとしているもので、2023年度の文化庁委託事業として採択されました。(群馬大学共同教育学部美術教育講座プロジェクト室)


「インクルーシブアートコーディネーター」・・・偶然日経新聞を読んでいて見つけた群馬大学の主催する研究会になる。主に視覚障がい者を対象にした、健常者との区別なく「だれでも」がアートを通じてつながることを旨とする学習会になる。

残念ながら、既に二回の学習会は終わっていたので第三回「アート×インクルーシブ”ひらくツール”開発からみえたこと」から参加することになった。

参加者の一人三輪途道さんの彫刻
先ず、興味をひいたのは「視えない」ということはどういうことなんだろう・・・といった疑問。視覚障害者の方々が視ているもの、そして視えていることとはどう言ったことなのか。人間が表現する存在だとすると眼が見えないということは不自由ではあるが、表現するということでは健常者と同等であるということだけは分かる。そこで、「視える」とは何か根本的なことを確かめたくなった。

無意識には、視覚障害者の表現も健常者の表現も、良いものはいいだろうから、出来れば同じ土俵で評価してみたい。それはちょうどボーダレスアートの作品のように・・・・。

恐らく空間の認識は「視覚」に代わって「触覚」になるだろうから、そもそも視覚を通して視える世界と触覚を通して視える世界の違いを知りたいと思う。
 
会場風景
ここは、表現とは何か、そしてイメージとは何かを徹底して深めた『心的現象論序説』、そして『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明著)を再読してみる。先ず、視覚という感覚器官と触覚という感覚器官それぞれが、どういったレベルでイメージを喚起し、またそれはどういった違いがあるのかを理解することで、視覚障害者の方々が「視えている」世界に近付いてみたいと思う。

↓の画像は、全盲者の作家三輪徐道さんの作品「けんぞく家族-リュウ吉」。残念ながら参加者に触る機会が設けられなかったので(主催者側のミス?)手触りは不明。もう一つのアニメのキャラの様な少女像(頭部のみ)は研究会が終わった後に勝手に触ってみた。視覚の様なイメージは喚起されず、この作品を触って「可愛い」を連呼していた全盲の美術愛好家阿部央美さんと感性を共有することはできなかった。
きっと、触覚には触覚の特異な感受性があって、そこを鍛えることによって触覚のイメージも豊かに開拓されるのだと思う。

自分としても、折角こういった機会を得られたのだから、触覚にあって視覚にはないものを活かせれば、触覚による表現も豊かに広がるように思えてノートに書き出してみた。
〇温度・・・視覚にも暖色や冷色などと呼ばれ温度を眼で感じることもあるが、これは喩えであって実際に温度を感じるものではない。
〇振動(バイブレーション)
〇膨らんだり凹んだりと、ものそのものの形状が変化し続けることを直に感じること(触覚の時間性?)
〇触覚による質感(ザラザラとかツルツルとか、スベスベの様な)・・・Onomatopée(オノマトベ)は聴覚から派生する言葉なので、吉本理論で述べられている「聴覚は、遠隔に外延された触覚である」という指摘は納得。
ここに来て、そもそも論として「今何故インクルーシブアート」なのか、そして、「今何故、視覚障害者」なのかが疑問となってきた。そこで、初参加となった研究会で講師(長野県立美術館学芸員)に聞いてみたところ意外な応えが・・・・「内閣府からの命です」と。そう、トップダウンで降りてきたテーマが「インクルーシブアート」だったのだ。

ネットでいろいろあたってみると、どうも今のトレンドらしいことが分かってきた。御上が「包摂性」のない社会であることを認識していることは伝わって来るが、じゃぁ民間にそれを投げてどうしろというのだろうか。。高齢化社会に向けてのサポート要員を養成し、彼らに下支えしてもらおうと考えているのか・・。もちろん、全然悪いことではないが、いまひとつ御上の意図が見えてこない。

茅ヶ崎市美術館(茅ヶ崎市HPより)
僕が参加しているのは、群馬大学共同教育学部美術教育講座プロジェクト室になるが、恐らく全国にはもっと早く先駆けている組織があるはずと検索してみると、既に2018年にインクルーシブアートを紹介し、様々な企画を運営してきた茅ケ崎市美術館に行き着いた。

底流に流れているのが、SDGsやLGBTといったマイノリティー層を積極的に組み入れた、無理のない持続可能な共生社会の構築という思潮。結構、文化庁や総務省といった御上が仕掛けていることにも気付く。その背景に何があるのか未だよく分からない。そして、僕が関心を持ち続けてきたボーダレスアートとどう違うのかも気になる。
 Home index 

essay +column+
2009 --2023
Today's image index
 
2015年 燈著你回來、寶藏巖國際藝術村、台北
耳の聴こえにくい・聴こえない方々や、目の見えにくい・見えない方々と対話を重ねたアーティストが、事前に一般から公募した参加者とともに耳や目、手足や体の使い方を見つめ直すワークショップを実施。当日は、ワークショップの参加者と共に公園の空のもと、パフォーマンスを発表。
《インクルーシブアートプログラム「UENOYES バルーンDAYS 2018」が開催!》ルトロンHPより 
 
 恐らく日本において知的障害者の方々のアートが早くから注目されボーダレスアートの先陣を切って紹介されてきた経緯から、今回、今まで余り注目されてこなかった視覚障害者アートにスポットライトを当てたものと思われる。それはそれで良いと思う。ただ、知的障害者アートの様に眼で見て直ぐに彼らの美を共有できる訳ではない。つまり、手で触って初めて感じることができる世界なので、その表現が面白いかどうか、また何処が素晴らしいのか、そして、触覚的に美しいとは何か等々様々な問題に気付く。その意味で、確かに僕らは視覚障害者の方々の表現に注意を払ってこなかったし、また彼らがどの様な環境にあって「美」とか「感動」とかを感じたり表現に置き換えたりしてきたかにも無関心だった。

今何故視覚障害者アートなんだろうか・・・・といった疑問を抱えながら色々考えてきて漸くぼんやりと分かってきた。要は「あらゆる人」がキーワードだ。障害の有る無しに関わらず、漏れなく包摂しあえる社会を築くこと、それがインクルーシブアートの目指すところだ。理想からはほど遠いけれども、そのことに自覚的であることが先ず大切なので、これからもインクルーシブアートに注視していきたいと思う。