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この二ヶ月で50本を超える映画を観た。この調子で観て行くと年内に200本は超えるのじゃないだろうか。。ここ二・三日は中国映画にハマっている。

これだけ観てくると、殆どのドラマには何らかの形で Love romance の展開があるので、そこにはひとつの「型」があることに気づく。それは、双方の関係が非対称に出来ていて、片方が絶対的(勝利)の立場に立つのが恋愛関係のお約束というか「型」になっているということ。

これは、ドラマではない我々の日常の世界でも同じで、片方が不治の病を抱えていたり、障害者であったりといったハンディがあり、相方が健気にサポートする縮図が一つの雛形になっていることが多い。実際自分の若かった頃の恋愛妄想が、好きな娘が足を怪我をして、その彼女を自転車に乗せて登下校時に送る・・・・という設定だった。
この様な対の関係性を恋愛の「型」とする精神構造は、どういった内容を持ち、何を意味しているのだろう。関係の絶対性と言うが、片方に絶対勝利の立場を付与する非対称の構図は、対の関係の中で何を意味しているのだろう。

サポートする側とされる側。ハンディーを持つ側は負債を負うが、恋愛という特殊な関係の中では、ハンディーは負にはならない。つまり、贈与で成り立つ見返りを求めない関係において、ハンディーは、相手側の贈与を保障するものとして機能し、少しも「負」としての要素にはならない。その意味で絶対的な勝利の立場に立つ。だからこそ、非日常の世界としてドラマに登場して、ひとびとを魅了するのではないか。
ひとは、愛する人の為にサポート出来るということは無類の喜びになるはず。常にサポートし続けられるということは、つまり、永遠に贈与し続けられるという栄誉を手にすることと同義。こんな幸運なことは他にはない。贈与を受ける側は、自分に足らないものを補完してもらえるのだから Win-Win の関係だ。これは同情とは全く違った次元の有様になる。このことが、ドラマや、現実の世界での恋愛妄想において片方にハンディーを持たせることの本義になる。

で、この関係性が終わるのは、双方がハンディーを持ち双方でサポートし合わなければならなくなった時になる。その時点で、絶対的関係が崩れ、最早贈与し合えなくなってしまう。純愛モノで言ったら、ここで心中が成立し完結する筋書きが常套だ。それが恋愛という物語のもつ、もう一つの理想型になる。
贈与が恋愛の本質だとすると、ドラマは、それの最大値を理想型(=ひとびとが皆喜ぶもの)として描く。それがLove romanceになる。しかし、ひとはどうして、こういった損得抜きの見返りを考えない行動をとるのだろう。そこにはどんな意味があるのだろうか…。

弱いものを見て手を差し伸ばそうとするという様な、同情とは違った感受性はどこからやって来るんだろう。

 贈与という振る舞いは、損得勘定の外の行為なので、自分の価値の実感を強く感じ取れるからなのか…。そして、これが異性だと顕著になるのは何故なのか。。
愛するひとが、辛さから解放されて欲しい、楽になって欲しい、喜んで欲しい、笑顔でいて欲しい…。これは生存戦略としてDNA ゲノムに書き込まれたものと考えるのが当を得ているのではないか。種を絶えさせない為に贈与(利他的)というメンタリティーが備わったと考えるべきかも知れない。従って、何らかの要因で社会環境が変わったとき、こういった贈与とか利他性が減衰し、恋愛や性愛も少なくなった社会はそもそも住みやすい社会なのだろうか。。それはそのまま種の危機になりはしないか。

社会学者宮台真司によると、今の若者は、10年前、20年前に比べ恋愛や性愛から撤退しているという。どういった要因からそうなったのか…一つにはヒラメ、チョロ目が多くなって、損得勘定で動く奴ばかりになっているということだ。背景には、グローバル化でアメリカ同様、日本も豊かな中間層が消え低所得者層と高所得者層とに分解し、少なくなった椅子のぶん取り合戦になった為、ヒラメ、チョロ目が増え損得勘定で動く様になったと宮台真司は言う。
こう言った社会では、人々の繋がりも希薄になり、家族も地域も沈んでゆくしかない。経済構造が、人間社会を変質させるとしたら、それを人為で修正できるのだろうか。答えは未だない。宮台真司は、損得勘定より「正義と愛」だと言っているが果たしてどうだろうか。

邦画を観まくっている話から、「恋愛の型」に話が行き着き、その恋愛も怪しくなって来ているというところに行き着いた。ただ言えるのは、恋愛を支える「ひと」のメンタリティーが贈与であるということは大きな救いでもあるということ。男女を描いた多くの映画が、それを示してくれている。
昨年の今頃は、韓国映画に圧倒されて、その影響で以来韓国語を少しづつ学習している(遅々として進まないが....)。そして今、邦画に続いて中国映画にも目覚めた。

明日もまたAmazon prime videoを観たいと思う。
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