by Ikuta |
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地域資源とは……のつづきです。 地方だけの問題ではないのだが、特に過疎化と人口減少が急速に進んでいる地域では、ありとあらゆる「もの」や「ひと」を総動員して空洞化したり、疲弊したりし続ける地域を手当てしなければならない。「ひと」でいえば老若男女はもちろん、いわゆる障害者といわれる人々も含めて地域資源に変換してゆかなければならない。 こんなことを言うと、トランプさんや、極右が台頭する EU の問題をかかえる今、お前は何夢物語を語っているんだ!と突っ込まれそうだが、理想的に聞こえる世の中の手当の仕方は、結局、二年前に注目された『二十一世紀の資本』(トマ・ピケティ)が指摘するように、そして、生前散々吉本さんが言ったように広い意味での「贈与」しか解決策はない。運よく富んだ世界、そして、先に富んだ世界から、貧しい世界に無利子で資本を貸したり、返済を迫らない貸与、簡単に言えば「贈与」になるが、それしか他に手立てはない。それをしないと昨日もイギリスであったように、テロの連鎖が無限に続くということになる。 |
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前回伝えたかったことは、「農」ということより「知的障害者アート」が、貴重な資源だという分かり切ったことを言いたかったのだが、特に地方に住んでいると「農」の問題と切り離して語れないところがあるのがややこしいところだ。 正確に言うと「知的障害者アート」そのものが地域資源だということより、知的障害者の方々と、それをサポートして様々な可能性を引き出す産婆術的な働きかけをする施設スタッフとそれを支える施設、そして、そこから生まれるものを紹介するgalleryなどの「場」全体の協働性を指して地域資源と考えている。 |
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by Sawada |
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僕が35年以上お付き合いしている六本木のギャラリー SAVOIR VIVREでは、すでに20年ほど前に、こういった知的障害者のアートを紹介している(たしか「しょうぶ学園」だった)。そして、続・鹿児島での初個展 でも紹介したように、元SAVOIR VIVREのスタッフだったMさんが、お父さんが亡くなったことで地元鹿児島に戻り、その地でSAVOIR VIVREと同じような機構をもつ(飲食と器の画廊 + SHOP)galleryを運営なさり、その後「しょうぶ学園」の理事長を務めたこともあって、個展の際僕に「東さん面白いところがあるんですけど行きませんか?」と誘ってくれたのが「しょうぶ学園」だった。 園の規模や、その作業の種類と工房(そば、パン、喫茶、そば店、漆・陶芸・織物、そしてファインアート)や店舗の多さ、そして何よりも、作品の質に度肝を抜かれた。 |
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上野さん作業風景 |
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そんな衝撃的な体験をした僕なので、先日フィールドワークとして寄った僕の研究地域にある養父市の福祉施設での聞き取りは、意外な印象となった。 僕が、お忙しい中わざわざ時間をとって下さった施設の理事長に、上図↑にあるような「知的障害者アートの新しい体制」を説明し、行く末は、それらの作品にきちんと価格を示してgallery等でしっかり販売することを提案した。以前、施設の職員の方にも同じ提案をしたことがあったが、応えは、今回と同じような反応で、かなりの抵抗感が見えたのだ。 SAVOIR VIVREや公的な美術館での評価を当たり前のものとして知っている僕にとっては、今回の反応は??っといった感じで、直ぐには理解することが出来ずに、ずっとこのことを反芻する日々となった。 |
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お聞きしたところ、いろいろな物語が詰まっているということです......... |
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応えはこうである。つまり、「農」としてのスタンスが未だ根強く残っている但馬の農山村地域では、近代のさらに前から、数千年にわたって培われてきた自然と人との等価な関係、あるいは『野生の思考』の著者レヴィ=ストロースのいうように「自然の人間化」、そして「人の自然化」という風に、人と自然が征服したり、対立したりする関係ではなく、お互い上手く利用し合って協働している関係にあった。そして、その中で生まれた命も、すべて等価なものとして理解されていたと思われる。 また、僕ら日本人は、障害者をそのハンディー故に一階層上位に位置させ「神」として崇めていたという歴史がある。福助や七福神の布袋などは、今でいえば水頭症だったと思われるし、恵比寿にしても大黒にしても、非健常者としてみられていた。何が言いたいのかというと、この但馬では、未だに「農」としての精神性というか魂が地域の古層に横たわっていて、絶えることなく様々な振る舞いに影響を与えているということだ。 「知的障害者アートに価格を付ける」ことへの抵抗、それは神の作ったものに価格というヒエラルキーを付けるといったことが禁忌というか、冒涜に値する行為を意味しているのだろう。そう考えると、施設の関係者の方々の「異和」が僕の胸にストンと落ちる。
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