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先月末「うちげぇのアートおおや」が開催されました。DMには20回目とありますが、正確には今年で21年目だそうです。主催者の一人であるKさんが仰るには、「こんなに長く続くとは当初思わなかったので、途中カウントがいいかげんでした・・・」ということでした。 僕がこの地に来て初めて出掛けたイベントが「うちげぇのアートおおや」です。僕のところも田舎ですが、このイベントの開催地(養父市大屋町大杉)は、もっと田舎です。明延鉱山がある地でもありますので、かつては相当賑わいのあった地域ですが、まだ採掘可能な鉱脈を残して、1987年(昭和62年)1月31日午後11時20分の発破を最後に、同年3月をもって閉山したということです。 もちろん、生野銀山同様、鉱物はたくさん地中に埋まっていますが、プラザ合意による円高で採算が合わなくなり閉山した訳です。何とももったいないことですが、仕方がありません。 閉山により、大屋地区の人口が、5000人規模から3000人規模へと減少することで、住民の人たちは、心にポッカリ穴が空いてしまった様で、大きな危機感を持ったと聞かされました。地域が疲弊して行くことの危機感から、「地域が結束してまとまり、何か物語を作ろう」と始まったのが「うちげぇのアートおおや」というアートイベントです。 |
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by Takada |
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上の画像は、このイベントの参加者高田さんの絵です。40×60cm60程あるこの絵の作者は、「琴弾の丘」という養父市にある知的障害者支援施設の利用者さんです。先日見学させて頂きました。この施設では、数年前から毎週水曜日13時より絵を描くことを始めたそうです。「しょうぶ学園」さんや「flat 展」、そして「和生園」さんとは一味違った表現で、同じようにみなさん個性的です。 「ことば」ではなく、絵画や表現というツールでコミュニケーションがとれるということは素晴らしいことだな~と最近つくづく思うのです。そして、今回お邪魔して88歳になられる川島さんという方の作品は圧巻でした。以下↓ご覧下さい。 |
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25×30(cm) by Kawashima 100 × 60(cm) |
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上段の絵にも下段のコラージュにも文字の様なものがあるのですが、施設の方にお聞きすると「文字ではない」そうです。でも、僕には60年代の概念芸術の様な知性を感じます。ご高齢なので午後は作業場の隣の部屋でお休みになっていましたが、僕が覗くと柔和な笑顔で挨拶をして下さいました。ほんの数秒のことでしたが、何かたくさん会話をした記憶が残ります。 後で聞かされたのですが、言葉は喋れないそうです。そういえば施設の方が「絵を見に来ました」といったジェスチャーをして下さっていました。アイコンタクトと表現をする者同士の何かで分かり合うような、そんな力を絵や表現には感じます・・・言葉は不要です。 |
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by Ikuta 80 × 50(cm) by Dakie 80 × 50(cm) |
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「うちげぇのアートおおや」というイベントは、もちろん障害者アートのみで回っている訳ではありません。僕自身の関心が、障害者アートにあるので、ついそちらに傾いてしまいます。 「うちげぇのアートおおや」は、今年で21回目になります。DMには20回目とありましたが、当初この様に長く続けるつもりがなかったのでカウントを間違えた・・・・と発起人の一人のKさんがおっしゃっていました;;21年間、一度も中断することなく続けて来られたということは尋常でなく凄いことだと感心します。 |
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作:松田 一戯 |
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上の作品は、村の入り口に設置されたモニュメントで、中心的なメンバーのお一人の木彫家松田 一戯さんの作品です。ご自身が「フォークアート」と唱えておられるように民芸調の素朴で力強い作風です。この松田さんと、書家の近藤研秀さんが中心メンバーとなって「うちげぇのアートおおや」というアートイベントを牽引してきたということになります。 先月お邪魔した時に 「東さんのお好きな文字をお書きしましょう」と仰って下さるので「好きな文字があり過ぎて困るので、ここは先生の一番好きな文字を書いて下さい!」と言って書いて下さったのが↓ で、手すきの和紙にさらさらっと書いて下さいました。(我が家の玄関に飾ってあります)。 |
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ここ大屋地区には平安初期の発見といわれる明延鉱山があり、一時は町の就業人口(約5000人)の1/3を鉱業従事者が占めたが、1987年閉山。このことが地域住民に大きな喪失感を生み、「何かをしなければ地域は崩壊する」といった危機感が生まれたといいます。 当時同じような状況から、地域住民の草の根運動によって地域振興に成功したドイツの楽団を招き、疲弊した大屋の再興に向け学ぼうと音楽祭を企画。それまで村にはなかったピアノを、地元住民や出身者から募金を集め、遂にドイツ製の1000万円のピアノを購入するところまで漕ぎつけ、このことを契機に、地元の木彫家や書家などの美術家が集まり、当初「単発でいい」として始まったのが「うちげぇのアートおおや」です 。 但馬は今、多くの地域で過疎化が進み限界集落も多い。100世帯余りの地域が中心となって催す「うちげぇのアートおおや」は、気が付けば21年も続いて来た。今では、大屋地区の誇りであり町のシンボルにもなり、この熱意が町や村に充満し、他地域にはない美術の町大屋を形作っている。 ひとつ気が付いたのは、豊かさというのはいいものだな~ということ。今では鉱山の閉山で人も経済も嘗ての様な賑わいはない。けれども一度でも潤ったところは「遊び」を知っている。どんなに貧しくなっても、どこかで人生の楽しみ方を覚えているのだと思う。このことが、どれだけ人を救うか、それは想像を超えて大きい。「自己表出とは自己慰安だ」と言ったのは吉本隆明だが、このことは今回「うちげぇのアートおおや」をフィールドワークしているなかで得た大きな収穫だった。 |
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