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昨晩 NHK 「日本人は何をめざしてきたのか」(知の巨人たち)で、戦後思想界の巨人として吉本隆明が特集された。


僕が折れそうになるとき、深い深い無意識のところで支えてくれるのが吉本さんの「言葉」だった。



吉本さんに出会えて本当に良かったと思えるエピソード、それは・・・・・・


この17日は、『阪神・淡路大震災』20年になる。この大震災が起きたその年、僕は初めて海外での個展をドイツで開いた。旅行嫌いを自称する僕だが、折角の機会なのでドイツの主要な都市を観光を兼ね訪ね歩いた。日本から持って行ったガイドブックに、ドイツをより深く知るうえでホロコーストには是非出掛けることを薦める、とあったので、フランクフルトから三本路線バスを乗り継いで『ダッハ』に出掛けることにした(アウシュビッツは、現在ポーランド領なので行けなかった)

ダッハ(ユダヤ人強制収容所)
フランクフルトのバス停でバスを待っていると、バスの運ちゃんが寄って来て何やら僕に話しかけるのだ。もちろんドイツ語で。「?」シックスセンスを働かせてよく聞くと、どうやら「お前は、強制収容所ダッハに行くんだろ。ならば俺の運転する市内循環?はちょっと離れているけれども、待ち時間が少なくて済むのでこっちにのった方が早く着くぞ・・・・・・」と言うようなことを言っている風だった。

運ちゃんと自分を信じて、ガイドブックには載っていないバスに乗り20分くらい経ったところで運ちゃんが何やら言っているので、たぶんここで降りろと言っているんだろう・・・・・と降りたところは、丁度正門の裏側。所内に入るには、大分歩かなければならなかったけれども、幸運にも、たった一本の路線で現地に着くことが出来た。



広~い敷地内の隅に、不幸にもここで亡くなった犠牲者の魂を鎮めるための鎮魂塔があり、手を合わせて中に入ると部屋の片隅に芳名帳が備えてあり、そこには各国からここに訪れた観光客の名前と国名、そして短いコメントが記されていた。本国ドイツ人の記名が多いのは当たり前なので驚きもしなかったが、意外なのはドイツ以外で多かったのがアメリカで、あとはフランス、オランダが目についた。僕以外にそこには誰もいなかったので、4冊ほどあった芳名帳を全て目を通し、目を凝らして確認したが、Japan という記名はどこにも見当たらなかった・・・・・・。

アメリカ軍に歓声を上げる解放されたダッハ強制収容所の囚人
何だか、とても情けないような、虚しいような、悲しい心持になって収容所をあとにした。



それにしても、どこの馬の骨かわからない観光客らしき東洋人に、自分らの恥部であるホロコーストをきちっと明示する気概と勇気、そして、その裏側にある覚悟と責任の取り方は一体どこから来るのだろう・・・・。さっきの運ちゃんは、英語が話せないことから察するに、普通の庶民だろう。その庶民が、外国から来た観光客にホロコーストをさらけ出すということに只々敬服した。と同時に、僕らの国日本は、自分を含めて何て貧相で虚弱な体質しか持てないんだろうと気が滅入った。



そんな情けないと思われる日本の中にも、先の戦争が一体どういうものだったのか、見たくもない事実から目を逸らさず正視し 、徹底して日本、そして自分に対峙した思想家が日本に居た。それが吉本隆明だ。


https://soundcloud.com/吉本隆明

僕は、ただただ吉本さんの情報が欲しくてメルマガ『ほぼ日刊イトイ新聞』 を購読しています。先週以下↓の連絡がありました。

あけましておめでとうございます。「ほぼ日グルッポー」です。

以前、思想家の故吉本隆明さんの講演集を発売した時に、ご本人とお約束していたとおり、

「ほぼ日」が預かっているすべての講演の音源をフリーアーカイブとして公開することが、長い準備期間を経て、実現に至りました。

2015年の正月の、本日9日(金)より、一部ずつ、音源の公開をはじめます。

 集めることができたのは、1960年代から2008年の「芸術言語論」までの183講演。

なんと合計時間は21746分です。ずっと、たくさん、聞いていただけます。

「吉本隆明の183講演」

可成りの数の講演をPCやiPadにダウンロードして百遍以上聴いてきました。流石に新しい講演を聞きたくなったところに上の↑吉報が。183講演タダで聴けます。『ほぼ日刊イトイ新聞』 のリンクを辿ると、未だ5遍ほどしか聴けませんが、https://soundcloud.com/吉本隆明へ行きますと全て聴くことが出来ます。吉本さんの著作三大書は難解過ぎてお勧めできませんが、講演は吉本リフレイン(同じ個所を繰り返し述べる癖)はあるものの平易な物言いですので聴きやすいと思います。お試しあれ!
吉本さんの思考は、ユダヤのそれと似たところがあるのが一つの特徴でしょうか。つまり僕ら日本人は、「和」 を重んずるとかろから全員一致を理想としますが、ユダヤの思考は逆で、全員一致があった場合、もう一度決を採るということです。これは、皆が一つだけの思考しか持たないことのリスクを常に意識するということを意味していると思います。


百人が百人とも「反対」という意見になったとしたら、それを疑え・・・・ということでしょうか。恐らく先の戦争で軍国少年を自称し、相当痛い思いをしたことがトラウマになっているのだと思います。絶対悪や絶対善などないという考えにも通じます。




・・・・・・・とここでブレイク。

今朝ピンポンで起こされました。そう、今日は「どんど焼き」の日でした。
ご近所の皆さん揃って「しめ飾り」を焚火にくべます。そして、鏡餅を煙にまぶし厄払いし、あとで小豆粥にに入れて食べるのだそうです。僕はぜんざいに入れようと思います。

去年もそう思ったのですが、何気なくやっているようで皆さん焚火の所作が板についていて美しく、感心します。火にくべた柚子や干し柿をみんなでわけあって食し、これで風邪をひかずに済むという運びです。ひとしきりお喋りをしながら温まりお開きです。家に着き時計を見ると10時を回っていました;;いやはや好いもんですね~。
吉本さんに戻ります。


吉本さんの思想の展開で特異というか特徴的なのは、特に表現に関わる分析の中に「精神異常」=「精神障害」の領域に言及していることがあげられます。それは吉本さん自身が、人間という概念を掴むうえで”異常”とは何かに触れないで人間を語れない、と考えていたためと思われます。特に「表現」という人間の精神活動の全体像を捉えるうえで、”異常”とは何かということを、きちっと掴んでおかないと人間を語れない、と理解していたのではないでしょうか。



例えば、僕ら作家が新作を作る場合、それは未だ誰も見たことのない”もの”を構想している訳です。このことを”異常”と考える人はいません。でもこの世にないものを”見ている”訳です。

精神異常と呼ばれる方々にみられる症状に”幻視”という障害があります。健常者の目には見えないものが、精神障害のある方々には見えているという現象です。この”症状”と、作家がまだ未発表の新作を構想しているときに”見えていること”とはどのような差異があるのか。。どちらも、この世に存在しないものを”見ている”ことに関しては同じ現象と思われます。

心的位相としての<病的>
”精神を病むという現象”まで、人間という概念のもつ絶対値を広げることで、より深く広く”人間”を掴むことが出来ると考える吉本さんの発想に、僕らはある”徹底さ”という信頼を持ちます。芸術性の高さとは、今までにないものを表現していることと同義ですから、それはきわきわに際どい心的領域を持っていることになります。異常と正常の端境にある心的領域とも言えます。その際どい精神領域まで掘り下げないと”人間”は見えてこない、とする吉本さんの思考そのものに僕らは感服せざるを得ない訳です。


この辺のことは、吉本さんの三大著書を紹介することより、実際の講演を聞いた方がはるかに分かり易いので、是非 「言葉以前の心について 」をお聞きください。とても参考になると思います。
   
そして、何といっても吉本理論の中で世界水準にある概念は『対幻想』 ではないでしょうか。

性≒恋愛≒家族を深く探ってゆかないと、個としての人間も、共同性としての人間も、その実相は掴めない。それは、「病む」ということも含めた表現を解明するうえでも、重要な心的領域だとする考え方です。

もちろん、この概念はフロイトの影響を大きく受けて生まれた概念ですが、日本の思想史の中で、性、あるいは恋愛、そして家族が、思想として考えるに値する精神領域だと明言したことは、上野千鶴子の言うように、途轍もなく大きな出来事です。


先日、息子と電話で話し込んだ時、吉本さんの文体に関して意外な指摘をされ「なるほど」と唸ったことがありました。息子が言うには、一般的に吉本さんの文体は、難解で独自の言い回しで読みづらい…・ということになっているけれども良く読んでみると詩的で美しい文体だ・・・ということ。『対幻想』という表現も、その概念はさておき言葉の響きがとても美しいと思えます。

なので、よくよく考えてみると「上手いこと言うな~」という感情と「・・・・」という感情が交錯します。確かに恋愛という感情は、1対1の関係性の中で醸成されるものです。ただし、その感情を成立させているのは、1対1の外側にいる他者を、もう一人の自分が無意識であれ意識的にであれ措定しなければなりません。その意味で「鼎」以上の幻想=イリュージョンが必要となる心的領域です。

その意味で「n個の性」というフランスの哲学者ドルーズの概念も見事な表現だと思えます。一対の男女の関係と同じ重みで、女対女、男対男・・・・その他n個のものたちとn → ∞ 個の幻想=イリュージョンが成立しうるとこの概念は拡張して行きます。
 
 
逗子市の市民大学講座にいらした頃?
 
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僕自身は『心的現象論序説』 に一番影響を受けたと言いますか、救われた訳ですが、未だ同じ感想を持つ方に出会ったことはありません。自分が何故表現をし続けるのか、何に強いられて表現をするのかの根拠の様なものを、この著作は心の解剖学の様に提示してくれました。この感動を共感できないのは寂しいのですが、仕方がないことですね。

吉本さんのことに関して述べるのは、いくらスペースがあっても足りないのでこの位にしますが、亡くなった時、これからの若い人たちは吉本さんを読んだりするのだろうか・・・・と悲観的に思っていましたが、どうして若い方々の中に息づいていることを最近知って、とても嬉しく思いました。そして今、続々と吉本さんの解説本が出版されていることに、ちょっと驚いています。


ピケティが指摘した「ほんの数十年」 r (資本収益率)g (経済成長率)だった頃、そう日本で言えば80年代でしょうか、当時の様々な白書では大半の人々が自分は中流だと感じていたというデーターに溢れていました。

そういった状況を見て吉本さんは「資本主義は人間が無意識に生んだ最高傑作だ」と述べ、雑誌「an an」 にコムデギャルソンの出で立ちで出て物議を醸しました。嘗て新左翼と呼ばれていた吉本さんが寝返ったとか、上野千鶴子あたりは「消費社会を消費しているだけだ」といって非難していましたが、ピケティに言わせれば、200年の資本主義社会の中で、たった数十年の奇跡的な、そして理想的な時期だった訳ですから、上野千鶴子の批判は当たらないと思います。


僕は今、糸井重里さんのお蔭で、毎日仕事をしながら吉本さんの講義を聴いています。もちろん、他にも「源ちゃんの現代国語」とか、その他いろいろ聴いている訳ですが吉本さんは格別です。

長くなりました。また機会を見て吉本ワールドに触れてみたいと思います。