養父市大屋アート地区 |
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昨日(9/24)、一昨日と、僕の研究フィールドである養父市大屋でゼミの合宿がありました。僕の所属するソシオ山室ゼミ(地域社会学)では、大学院設立後三年目の今年が第一回の合宿ということで名誉でした。 今年の夏休みは、今まで一年半学んだ「地域」について改めて「地域とは何か」という疑問が膨らんだこともあって、この夏休みは「地域」という単位より小さい「家族」、そして大きい単位の「国家」を確認しなおしてみました。 |
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当然、吉本さんの『共同幻想論』を本棚から引っ張り出して、特に「対幻想」の項を読み直しましたが、この章はエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』批判といった内容なので、結局この著作にも目を通すことになりました。ただ、日本のアカデミックな家族論は、このエンゲルスの著作が基礎になっているところがあり、その意味では予想外の収穫でもありました。 硬い内容で相済みません。 結局、僕のゼミでのプレゼンは、夏休み中興味を広げ過ぎて収拾が付かなくなり撃沈でした。ただ、僕らのように四年掛けて働きながら修士をとる長期履修生ではなく、通常に二年で終える同級生の研究スタンスが、テーマを絞り込んで密度を上げている姿勢を見ることができ、その意味でとても有意義でした(僕は興味が拡散し過ぎです)。 |
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今回、吉本さんの「対幻想」に関する著作の何冊かを読み返してあらためて驚いたのは、20年前に「死の水準が理想の出産数を規定する」と指摘していた点。具体的には、出産可能な女性は、平均寿命から逆算して何人産むのが、自分や家族の経済的な力や環境を含めて合理的なのかを判断しているという指摘。 一昨年「増田レポート」なるものが出て、「消滅可能性都市」と指摘された地方は凍りついた。ここ但馬は典型的な該当地域となった。「増田レポート」が、地方の盛衰を根拠付けるものとしてあげたのは、若い女性数=「出産可能年齢」数の推移。今後この数が減少するであろう地域は衰退し、増加するであろう地域は栄えるるという訳になります。この社会の経済成長を支えるのが、生産年齢人口数であるところから導き出したデータです(藻谷データの行政側の読み替えです)。 でも、これは行政サイドのデーターの見方で、どこの女性が国の「生産年齢人口」を増やそうとして産むことを選ぶでしょうか。。「生=エロス」しかみていないと、それこそ人間の幅で「正」しかみずに社会プランなり国家ビジョンを立てているということになります。これは「負」、つまり「死=タナトス」をみていないということです。その点女性はシビアなので、しっかり平均寿命を逆算して(死を繰り込んで)希望出生数を割り出しているということです。当たり前ですが、経済成長のために出産を考えている女性などいるわけないのです。 |
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ゼミ初日は夕方から宿泊施設「いろり」にてバーベキュー、その後舞台を室内の囲炉裏に移しての飲み直しです。ゼミの先生は普段晩酌もなさらない方ですが、しっかり僕らに付き合って下さり、結局、夜中の三時半まで談笑して僕らは果てました;;; | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
養父市大屋町大杉宿泊施設「いろり」内の囲炉裏(三階建ての元養蚕家屋) |
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今回、他の学生の研究報告を聞き、感心したというか感動しした事例がありました。それは修士一年の、僕と同じ朝来市の職員の方で、市内の和田山町東河地区の自治会研究でした。今どこの地方も町村合併を経て、それまであった「自然村」としての繋がりがが溶解し、新たに行政区分としての学校区を基盤に据えた自治協議会を立ち上げている。彼の研究フィールドである東河地区は、「地域協力隊」と呼ばれる行政からあてがわれる外部から公募した地域興しとしての人材を拒否し、独自の自治組織を継続して運営している。そして、財務部が、区所有の土地に団地を構え宅地として販売するといったことまで自主的にやっているのだ。 他の地域では見られない独自の地域運営感覚は、いったいどこからやって来たものなのか興味深かったが、それは住人の「このままでは地域が消えてしまう」といった危機感と、人や地域に自分の命をなげうつ利他性という「郷土愛」をもった人間が過去に多くいたという事実。宮台真司がよく言うように、そういった振る舞いは、それに出会った人間が感染し、人から人へ伝搬するということを、当該地区は証明しているという貴重な調査報告だった。 当たり前のことだが、地域には人が住み、そしてその人らが地域を盛り上げるしかないのだ。でも、これが一番難しい。3.11以降、あちこちで「絆」と叫ばれているが、それをどう具体的に、かつ継続的に人と人をつなげていくのかはそう簡単なことではない。ただ言えるのは、人を動かすのは所謂”等価交換”に裏打ちされた損得感情とは全く次元の違った振る舞いだということ。このことを、身近な地域の事例で示された報告に出会ったことが、今回のゼミで得た大きな収穫だった。 更新遅れがちで申し訳ない!今後ともご贔屓に。 |
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二宮神社境内の大榎 |