柳田村 合鹿椀
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  この話題には、一度は触れなければ角さんに失礼かな・・・・・とキーボードに向かっています。

というのも、先日の SAVOIR VIVRE での個展にいらした方が、毎日お使いになっている角さんの合鹿椀にならんで、僕の合鹿椀を使いたいと、ご丁寧に30年前の僕の合鹿椀の画像を示してご注文頂いたことによります。角さんは、だいぶ前に鬼籍に入られたので、故人を偲ぶ意味でも、時には合鹿椀の(特に柳田村の)話題に触れることは悪くないことのように思えます。

そう、僕が工雅さん(青山学院高等部裏門前にあった漆器専門店)で二回目の個展「錆うるし展」をもったとき、角さんは初めての個展を当時表参道にあった伝産センターで開いておられた。当時、僕は”角偉三郎”という名も”合鹿椀”という椀も知らず、たまたま伝産センターの角さんから工雅さんに「合鹿椀があるが要りようか・・・」という電話があり、工雅さんから角さんの個展があるので行ってみたらいい・・・ということで出掛けたことが初めての出会いでした。その時のお話は後に回し、まず合鹿椀について・・・・・。
 
SAVOIR VIVRE 初期のころ........... by azuma
 
  当時作っていた合鹿椀の画像をごそごそと漸く見つけました。


角さんと初めてお会いして話したことは、現代美術のことばかりで、まったく合鹿椀の話は出ませんでした。なので、僕自身も角さんの圧倒的な数の合鹿椀を目の前にして、特にこれといった印象もなく、家に帰ってから「日本漆工の研究」を繙き合鹿椀の何たるかを知ることになります。それが一番上に載せた「柳田村の合鹿椀」です。


最初の印象は、欅の木地の目が剥き出しで出ているのと、作業工程が外から見える形で表現していること、つまり丁寧に、そして精緻に仕上げてゆく指向性のある日本的な風合いではない、何というか、ある健康さというか野放図さというか、大らかさの様なものを感じたことを覚えています。そして、それはある既視感のあるもので「・・・これって、李朝ものでは。。」と直感しました。李朝美術は、当時も今も変わらず好きでしたから、何というのでしょうか省略美、つまりミニマルな美しさに素直に感動しました。


ここで、当時の工芸を取り巻く状況だけではなく、美術全般の状況を振り返ると、アメリカから入ってきたミニマルアートが、完全な近代化を終えていなかった僕らの国では、西欧的な理解ができずに、それをアジア的に理解していたように思います。つまり、日本的に翻訳し所謂「もの派」という表現に置き換えて開花していたといえます。このことは返って良かったといいますか、西洋とは違った独自の世界を表現していたので、ミニマルの誤解の了解として成功していたと思います。


西洋のミニマルアートが、科学的指向性をもって美という概念の根源に向かい、その構成の「色」や「形」を分解して最小単位の”赤”だけとか”立方体(キュービック)”だけの作品を作ったのに対して、僕らの国では、その最小単位が色だったり立方体には行かず”自然”へと向かいました。そう、アジアでは「自然」が解体しうる最小単位だった訳です。それは、自然石だったり、水だったり、土だったり、油だったり・・・・・。
 
李禹煥 「関係項」






by 榎倉康二





「位相-大地」.........by 関根伸夫
  ミニマルアート

『バーネット・ニューマン作』..........It offers a once girls & boys より






作・桑山忠明
1958年にニューヨークに渡って以降、一貫してミニマリスティックな作品作ったアメリカを代表する作家






  合鹿椀から離れてしまったようですが実は違います。角さんとお会いした頃つまり80年代の始まりですが、ミニマルな表現は最早スタンダードなものとして表現の基盤となっていました。そして、やや遅れてそのコンセプトが工芸の世界にも入ってきました。

例えば、何かを表現するとき、材質の自然性を消さずに残して仕上げるような指向が生まれます。なるべく人為というか加工を抑えて、”素材”と”人がものを作ること”を等価なものとして成立させようといった姿勢、つまり「もの派」の制作態度(コンセプト)と同じということになります。どうでしょう柳田村の合鹿椀と重なりませんか?

角さんの「へぎ板」といった木材の組成を活かした作品がありました(以下↓)。
   
「へぎ板」......角偉三郎作
  樹木は重力に逆らって上に上にと伸びようとするので、縦方向にその構造が構成されます。それゆえ木材は、縦には裂けますが横には裂けません。横方向は、折るしかありません。そういった木材の性質というか構造を、そのまま表現に置き換えて(活かして)制作したものが「はつり」シリーズです。”はつる”とは、木材の組成に逆らわずに木の目に沿って力を加えて裂くことを言います。そうして出来上がった板状のものを「へぎ板」と称していました。(12/05修正)

もの派の表現に、あらゆる”動詞”を表現に置き換えるスタイルがありました。”焼く”、”叩く”、”下げる”、”割る”、”塗る”、”掘る”、”曲げる”、”置く”etc 無限に表現が成立しました。”折ぐ(へぐ)”や”はつる”こともその一つといえます。僕自身は、”へぐ”より”はつる”のほうが、出来上がったものに相応しいような気がしています。

角さんの視線の中には”もの派”的な指向が確実にありました。

僕が角さんと初めてお会いした時に、僕が「錆うるし展」で錆漆(=下地に使う漆)を仕上げに使っている作品の写真を見せたところ「こんなことをしている作家がいたんですか!」と痛く感心していました。それは、彼の育った家が、分業化が徹底している輪島で、下地専門に作業する職人だったということが大きかったと思います。毎日のように高く積まれた下地の椀を眺めて「なんて美しいんだろうか・・・・」と思ったと仰っていたことを覚えています。
その翌年?「地塗り」と称して大きな棺のような作品をたくさん作り始めたのは、このときのことが多少影響したのでは・・・と密かに思っています。
      
作・東 日出夫.......1982年自由が丘画廊

ミニマルアートについて少し触れたページがあります。↓ 

桂離宮とミニマルアート

注1 ミニマル・アート
上の画像は、その時角さんにお見せした写真の一部です。まったくのミニマルアートそのもので、黒い部分はシナベニアに錆漆、壁に直接四角い線を引き、四角い布をべニアの裏側に敷設しています。壁を使ったインスタレーションのような作品で、まあ十年遅れでミニマルアートを追体験していたことになりますでしょうか。


なな何と、今日は雪です! レポートを書いて登校しようと思っていた矢先のことで、慌ててスノータイヤに交換。お陰で遅刻です。相変わらずゼミの先生は、全く大らかで「登校されるまで待ちましょう」などと物騒なこと;;;を仰ってくださいます。結局、1時間半遅れで入室。先生はまったく動じず。修士ってゆるくていいですね~。



そう、合鹿椀とミニマルアートの関係でした。ミニマルアートといっても、それにしっかりと触れるとしたら、とてもじゃありませんが、web のページでは、詳細には語れません。何冊かの本になります。なので ざっくり言って、コンセプチャル・アートの内の一つとして括られるとでも言っておきましょう。何か工芸とは遠い、難しそうなお話の様ですが、実はそうでもありません。

赤瀬川源平さんが生前仰っていたように、コンセプチャルアートの権化のようなデユシャンの「泉」のような表現(便器を美術館という本来あるべきでないところに置くことで、全く存在が違って見えるという表現)ですが、これなども、決して小難しい概念芸術ではなく、僕ら日本人にとっては馴染み深い表現でもあります。つまり、千利休が、小汚い漆掻きの桶などに藪椿を一輪さらっと活けて床の間に飾るとか、よくある風景です。
 
 
「泉」............by Duchamp
 
  また、もの派の得意とした動詞的表現で「たらす」というのがありますが、これとて「たれる」という物質の物理的現象を表現に置き換えているにすぎません。俵屋宗達の編み出した手法に「たらし込み」という素晴らしい表現があります。墨や岩絵の具は、小さな粒子なので重力の影響を受けます。同時に水の影響もうけるので、物質として分離するわけです。そうすると「滲み」ができ、それを僕らの視覚は得も言われぬ「あじ」として感じます。  
 





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 この「たれる」ということを、角さんも椀に使っていました。伝統的な輪島塗の世界では、「たれる」ということは、職人としてあってはならない言わば”しくじり”のようなものです。陶芸の世界は、こういったことは「おもしろさ」として解釈するゆるさというか寛容さがあります。僕ら漆芸家が「羨ましいな~」と思う瞬間です。
 
by Kado
 以前、日本的なミニマルアートである「もの派」が、実は「侘び寂び」の世界に重なるといった話をしたことがありました。彼らの視線の先には、”色”や”四角”、そして”立方体”はなく、やはり「これ以上分けられない極小単位」としての物質である”自然”に行きつきます。そして、その物質が「変化をしていくこと」それ自身を表現とする表現も多くあります。それは、鉄が錆びていく様だったり、廃油が滲んでいく様だったりと、自然の変化、つまり「時間」ですが、作品を眺める自分と、そこで変化をしていく作品との関わりそのこと自体が表現となっている訳です。


したがって、彼らの作品のタイトルには「関係」とか「時間」とかを使ったものが多くみられます。
 
Relatum Dialog by LeeU-fan 「関係項」 李禹煥 作






by Lee
  絵の具のように加工された素材ではなく、「もの」そのものをもって表現として作品を成立させたことで、彼らを「もの派」と呼んだわけですが、同時に「時間」を感じる主体(作家と鑑賞者)との関係そのものも表現として措定していました。

僕らが「侘び寂び」を感ずる時、もの派が表現した”こと”と同じ”こと”との関係性を成立させていることに気付きます。僕らが、朽ちてゆくものに美を感じたりするのも、その先に、やがてものが「自然に帰ってゆく」だろう・・・・ということを身をもって感じているからに他なりません。


若いころは、美術にヒエラルキーを多少持っていて、現代美術が最上位にありました。というのも、表現のコンセプトが、最も急進的で、そしてピュアであることによります。この歳になると、いやもう大分前からでしょうか、その辺の美術館に陳列されている現代彫刻よりも、使い古された臼の方が、余程生命感や存在感があるように感じたりします。
 





角さんが亡くななられて、もうどの位経つのでしょうか。ご存命なら今頃どんな作品を作っておられるのでしょうか。。

当時の個展の案内状には、角さんのことを”土の子”?だったか、”つくしの子”だったか忘れましたが、そんな風に紹介されていました。たぶん素朴で自然に近い感覚をもっているひと…そんな意味だと思います。そんな風に呼んで問屋さんは売り出していました。角さんを合鹿椀と重ねて問屋さんがマネージメントするとしたら、そう呼ぶのは合理性があると思いますが、実際の角さんは、僕のお話ししたときの印象ですと、とても思慮深くインテリジェンスのある方でした。

恐らく、問屋さんの演出したイメージとご自身のイメージにずれを感じていたように思います。ご本人自身も「装飾的な仕事がしたい」と仰っていました。でもデパートで数千万を売り上げるには、それは許されなかったのでしょう。何十人という方々が、作品を仕上げるまでに関わっている訳ですから。

三十年前、僕らが夢中になって欧米に追いつけ追い越せと頑張ってきた訳ですが、八十年代ついに世界第二位の経済大国になり、とりあえず近代化をそこそこ済ませ今日まで来ました。その意味で、今では「ミニマルアート」本来の意味を、アジア的理解ではなく欧米と変わらない素養を身に着けることで理解できていると思います。それを象徴するかのように、李禹煥の2015年度の新作は、以下↓の様な正しくミニマルアートへと結実しています。当時の欧米の作品と比べあまり無機的ではなく、とてもチャーミングです。
 
 
「色のハレーション / 空間のハレーション」............李禹煥 作  218.2 x 291cm
 角さんについて触れたからでしょうか、それとも合鹿椀について触れたからでしょうか、いつもの三倍程このページをご覧いただいているようです。

ちょっと長くなってしまったので、そろそろ〆なければなりません。

久し振りに「ほぼ日刊イトイ新聞」の『吉本隆明の183講演』<アジア的>ということを聞きました。ちょうど院のゼミと被ることもあります。

アジアと一口で言っても、内実はそれぞれで「西欧とアジア」といった区分の有効性も怪しくなってきています。ただ地理的区分ではなく、宗教的・政治的・文化的視座で考察すると、西洋と東洋は、大分精神構造が違うことに気付きます。吉本さんの講演を聴くと、その違いをきちっと正確に分析して見せた最初の西洋人は、マックス・ウェーバーで、続いて最も的確に<アジア的>なるものを考察したのは、ヘーゲルだと述べています。

ヘーゲルによると、よくよくみてゆくとアジアの原理は「自然」だということここでは詳しくは触れませんが、この指摘は、今でも正しいように思います。21世紀に入った僕らの国日本も、ある程度西洋的な思考をとることも出来るようになりました。けれども、無意識の部分では、未だに「自然的指向」を持っていると思います。では、その”自然”とは何かといいますと、それは、僕らの生身の身体も、時間の経過によって、やがては朽ち果て「自然」に還ってゆく、あるいは自然に同化するとでも言いましょうか、そういった死生観を普通にもっているということのように思います。
 
  柳田村の合鹿椀に何を見るか・・・・それは、素材(自然)と人為(加工) を等価に置いたところで作る姿勢、そこに、僕らは<アジア的>なるものを感じとることに他なりません。どこかほっとするもの、自然から生まれ、そして自然に還ってゆくそのことを、それこそ自然に受容している僕ら自身。たぶん、こういった在り様は、近代化を遂げた後でも、これからも消えずに残ってゆくものと思われます。

恐らく輪島で眠る角さんの魂も、自然に還って、また違った形で再生なさっていると感じます。合掌。