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2009 --2016
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何十年振りだろうか連ドラとやらを観るのは。

ちょっと前、たまたま NHK 日曜美術館を観たところ”暮らしの手帳”の創始者のひとりである元編集長花森安治と大橋 鎭子(日本の編集者、エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊)を紹介していた。

先ず驚いたのは、その表紙のデザインだ。とにかくビックリするほど上手い。そして、センスも抜群なのだ。
相変わらず『とと姉ちゃん』をみている。何故だかわからないが、なんていうことのないありがちなシーンでうるうるしている。経理担当者の社員が同じく社員のとと姉ちゃんの妹に告る、いわばお約束のシーンなのに。。

それと、このドラマと35年以上前の自分とがダブル。

そう、ちょうどその頃『かたち』主幹の笹山央氏と、新『かたち』再版に向けてよく話し合った。そこで問題になったのは、新しい雑誌に広告を載せるか否かだった。当時の僕は、印刷代を含む経費を考えたら広告をとらなければ雑誌は継続しないという立場だった。今と違って、当時はPCの普及もなく、印刷代は雑誌を発刊するにあたってかなりの経費を占めていた。完売だったとしても大した利はなかった。それでも確か¥1800という販売価格だったように記憶している。

当時、『美術手帳』が¥1500ほどだったから、新『かたち』の販売価格は強気に思えた。けれども主幹の笹山氏は、広告はとらないということを通した。今から思えば『暮らしの手帳』の経緯を知ってのことだったのかも知れない。「雑誌」というものに思い入れがあるものならば「広告」をとらないとする姿勢は、ある意味潔く、資本主義の本流である市場原理に乗らないという思想的な要因も強くあったように思う。
.....という経緯もあって再版することになる「かたち」の編集には参加することはなかった(というか外された?)。世は正しくバブルに向けてまっしぐら。どう考えても広告をとるという選択しかなかったように思う(今でも)。

今振り返ると、その後結局「かたち」は休刊となったわけだが、それでは再版に意味がなかったかというと、それは違っていて、あの時代で工芸の可能性を探ったという点で意義深かったと思う。本当は、資本主義の倫理というのがあって、広告主自らがスポンサーといえども厳しく批判は受け、雑誌の主幹は言うべきことは言うという見識を賞賛する太っ腹な企業の運営姿勢が望ましいのだが、当時も今も、残念ながらその辺は日本の民度は低い。まっ、「会社はだれのものか」という問いに「株主のもの」といった声と同時に「読者のもの」が第一義になっていないところがまだまだか。
先日の「とと姉ちゃん」は、妹が嫁に行くシーン。毎回うるうるは続いているのだが、この日はちょっと違った。というのも、これまたお約束の「鞠子さんを僕に下さい」と婚約者の実家に挨拶しに行くわけだが、僕はこの「実家に結婚の承諾を受けに行く」シチュエーションで凄い実話を知っているのだ..........。

それは僕の尊敬する大工牧野の同じシチュエーションのこと。当時国会図書館長をしていた婚約者のお父さん(京都帝大卒)に、結婚をしたいという意思を伝えに行ったとき、中学の時お父さんを亡くしたことで卒業と同時に上京した牧野さんは所謂「中卒」だ。その彼に館長は「君はうちの啓子(牧野さんの奥さん)を幸せに出来るのかね」と詰め寄った。その時の牧野さんの返事が振るっている  「そんな先の将来のことは分かりません」ときっぱり答えたのだ。「そりゃそうだな....」と返ってきたということだが、そう言うしかない;;;

「事実は小説より奇なり」とはこういうことを言うのだろう。
どうして、何ていうことのないシーンでうるっと来るのか.........。一つはこのドラマの時代背景が、戦後の混乱期を経て高度成長期に至る過程であること、つまり僕が物心つく頃から思春期に至る時期とぴたりと重なるのだ。日本がちょっと前の中国に似た状況で、経済成長に連れてものすごい勢いで商品が市場に溢れてきた。もちろんインチキで粗悪な商品も多く出回っていた。「あっ、これはハズレ」といった感じで粗悪品に出会うのも織り込み済みだった。なので商品の良し悪しは「機能」の良し悪しを意味するものであり、それゆえ「商品テスト」は大きな意味を持っていた。いってみれば、機能を追いかけてさえいれば善だったので牧歌的で素朴、それゆえ幸せな時代だと言える。

ドラマ化されているシーンの多くは、実際にあった。親子や男女の気遣いも細やかで温かいものだった。そして、巷にいい商品が溢れることイコール幸せになることでもあった。この朝ドラにうるっとくるのは、明らかにノスタルジーに耽溺していると言っていい。思えば僕らは、多くのものを失った。じゃ、あの日に還るのかといったら微妙だ。
編集長が、頑固一徹でいられるのも世の中の先が見通せるからで、今のように全く先が見通せないと、人が何にこだわり、何を守ればいいのかを見極めるのが難しい。わずかに残っている原始感覚を頼るにも、これだけ価値観が多様化すると、頑固も頓珍漢になり大概にしろよとなる。映画『男はつらいよ』が懐かしいのと同じだ。

まっ、それでも僕らは生きていかなければならない。

今日僕の住む地域で恒例の行事だった『秋の御大師祭』の中止が決まった。会計監査を兼ね総会があったが、予算が足りず、結局春の御大師祭一本に絞られることになった。峠越えの旅人に湧水の茶をもてなす....ということで建てられた寺という由縁の茶堂(放光院)は、今再評価されている日本文化「おもてなし」の典型ともいえる精神を起源に持つ。祭事が中止に至った根本的な原因は、人口減少による過疎化だが、こういった地域の行事が無くなるということは、そのまま地域が消えてゆくことになるのは他の地域を見れば明らかだ。僕は、いくつかの提案をさせてもらった。あと二年経てば院を卒業しているはずなので、HP等新しい広報を提案できるが今は時間がなく難しい。
うるうるの起源を遡っていたら話が逸れてしまった。

『とと姉ちゃん』をみて、戦後復興期、そして高度成長期を支えてくれた先人たちが誇りある第一章を描いてくれたことに気付いた訳だが、バブルとその崩壊期の第二章を過ぎ、グローバル化のただ中にいる僕らは、続く章をどう描くのか.......。あとから続く後人達に「あの章があったお陰で今がある」と言ってもらえるような章を描きたいものだ。

地方を捨てて都市に流入することで近代化を遂げた今、そのリバウンドで空洞化した地方をどう再興するのかという難問が残された。これといった策は思いつない。ただ全く新しい共同なる幻想が必要だということ、つまり今までにない地域共同体の構築を必要としていること。難問だ。