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「183回の講演、合計21746分の吉本隆明さんの声をここに集めました。無料無期限で公開します。いつでも自由に、何度でも、お聞きください。」 |
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新刊JPより |
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このプロジェクトが始まったのが2008年だったので、凡そ8年ほどの時を経て完結したことになる。当時CDで販売していたものを一部購入した覚えがある。全編揃えると5万円程かかったので、そのうちに・・・くらいでいた。その当時に販売した売り上げを、今回の企画の原資にしたというから、当初から無料公開の構想があったのかもしれない。そして、吉本さんの長女・ハルノ宵子さん(漫画家)のたっての希望もあったという。 吉本さんとの出会いは、35年ほど前、一緒に株式会社を立ち上げた悪友の影響が大である。二人で立ち上げた会社の運営や経営理念を巡って、昼夜を問わず徹底して語り合った。その話の中によく出てきたのが「よしもとりゅうめい」というフレーズだった。もちろん、十代の終わり頃(浪人中)好きだった深夜放送のDJ(当時早稲田の教授だった加藤諦三)が、吉本三大著書を紹介していたので「吉本」という名は知っていた。でも、その著作は難解で当時の自分には理解不能だった。 でも、十年経たずに座右の書になった。この世界に入って、それこそ本気でいい仕事をするには、どういった姿勢が必要か、吉本理論を実践的に超えるには何が必要か等々、マジで徹底して考え抜いていた。当の悪友は「日出夫ちゃんは、本物の作家になるかもな~」という言葉を残して蒸発してしまったのだが。。 |
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吉本宅の野良猫用ホットカーペット...............ほぼ日刊イトイ新聞「猫屋台」より |
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今思えば、その悪友は明らかに「躁鬱病」だったので、今なら適切な対応が出来たのかも知れないが、当時の僕は直対応してしまった。ただ、恐らく「病院に行った方がいい」と伝えても彼一人では行くことはなかったと思う。彼自身が「俺は分裂症だから」と十分承知していたからだ。 吉本さんの分析を借りれば、その悪友は、病むべくして病んでいた。吉本さんの言い方を借りると「思春期に両親のどちらかが異性問題でのトラブルを抱えていた」ことになるからだ。彼の話の中で、オヤジは日本舞踊の師匠と駆け落ちしたことがある・・・・と聞かされたことがあった。吉本さんに言わせると、これは致命傷になる。当時同僚だったもう一人の友人も、同じような家族問題を抱えていて、結局数年前不慮の事故で亡くなった。僕はその時、これは緩慢なる自死だと感じた。どちらも平常時は、途轍もなく聖人のようにいい奴だった。 |
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吉本さんと長女・ハルノ宵子...............ほぼ日刊イトイ新聞「猫屋台」より |
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その悪友と袂を分かって直ぐ、僕は、自分の人生の方向性を失い、これからどういった風に生きて行くべきか五里霧中だった。そのとき思い立ったのが「そうだ、吉本さんに相談してみよう!」と、確か現代美術の企画でご一緒した関東学院大の建築の教授から頂いた同人誌「試行」の一部(二次空間から三次空間への飛躍について)のコピーから電話番号を突き止め、直接ご自宅に電話した。 電話口に出たのは奥様で、僕が矢継ぎ早にいろいろ質問したことに対して「主人は、美術は不得意ですが、いつでも直接お話になっていいですよ」と仰って下さった。歯切れのいいものいいで、江戸っ子弁そのもの。吉本さんに代わらなかったので多分留守だったのか、よく覚えていません。覚えているのは、試行を購読するのに前払いで1万円を送る必要があったのですが「現金書留にすると手数料がたくさん掛かるので、普通郵便で送って下されば結構です」といった返答に、常識人の僕は「えっ、いいんですか」と言ったところ「よろしいんじゃないですか」という返事。さすが新左翼の奥さんだと、変なところに感動した。 |
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取材陣を必ず見送った吉本さん...............ほぼ日刊イトイ新聞「猫屋台」より |
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それから10年程経って、逗子市の市民大学講座の企画委員になり、とうとう吉本さんを講師に招くことができた。何のためらいもなく電話で直接依頼したのだが、その時も奥様が電話口にたって取り次いで下さった。メリハリのきいた口調とお声は、10年前と全く変らず、こちらとしては多少成長しましたと報告を兼ねてといったニュアンスだったかな。 二つ返事で講演を引き受けて頂いた時は、これはもう勲章もんだな~と自分で自分を褒めてやりたいくらい舞い上がった。ただ、吉本さんを前にすると何だか親父の前に出た時の様な心持になり、どうも何を言っても「未だ未だだな。。」といった風に感じてしまう自分がいた。それでもめげずに、講演後の待合室でいろいろ質問はしたのだが、大して意味のある内容ではなかったと思う。五・六回以上の講演を聞きに出掛け、すべて質問した覚えがあるが、いつもスカの様な後味だったことをみると、これはもうファザーコンプレックスと言うしかないのかも知れない。 その意味で、僕にとっての吉本さんは、書物の方がよく語り掛けてくれ、実物は近親憎悪のような関係性になってしまう。不思議だ。そういえばSAVOIR VIVREのスタッフに「東さんって、吉本さんにどこか似てる」とTVで放映された吉本さんの講演をみて言われたことがあった。こういうのを、宮台真司に言わせると「感染する」と言うそうだ。つまり相手を本気でリスペクトすると、一挙手一投足を真似てみたくなるということらしい。 |
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ほぼ日刊イトイ新聞「猫屋台」より |
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今日(24日)は銀座 epoca 「日々」 のNさんが、朝来市在住の陶芸家光藤さん他二名を連れ立ってみえた。十年振りくらいか、お会いするのは。。お互い歳はとったものの変わらないな~といった呈。二子玉川の高島屋西館だったか「アルテスパツィオ」?というギャラリーのスタッフだった頃からのお付き合い。25年以上経つので謂わば工芸界の戦友のような関係になる。 工芸界も、バブルを挟んで25年前とは大分様変わりした。当時は、主役に近い座にあったように思う。今では考えられないが、雑誌も百花繚乱、数えきれない位多くの雑誌が発刊されていた。当然「器」を紹介するページも多く割かれていた。 今と違って雑誌というメディアは、未だかろうじて大衆として括られた人々が、様々な情報を得るものとして君臨していた。また、雑誌社は、どちらかというと内容より広告によって収益を得ていたので、どこの企業から広告を取るかを競ってもいた。載っている企業の広告のクラスが、そのまま雑誌のクラスをほぼ象徴していたといってもいい時代だった。まさか、そういった情報が「ただ」になろうとは、インターネットという技術が、世の中の有り様をガラッと変えてしまう典型例だ。そして、いつのまにか工芸も端役へと廻るようになる。 工芸がよかった頃を知っている知人に会うと、感情の一部がタイムスリップして回顧的になる。仕方がない。 |
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「夢の中で君に貰ったとしたら」.............確か、Nさんがお持ちのはず。。 |
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工芸の今の話になり、美大の工芸学科が定員割れを起こしているということから、 全ての美大は画廊をもって、学生の時代に作り手として自立するには、自分をどうマネージメントするのか、そして、マーケットはどういったものなのかを、校内の画廊を使ってバーチャルに経験し、ある程度マーケットの仕組みを学び、その後に社会に出るべきだ・・・・・といった話を僕はした。これをしなければ、美大を受験する、特に男子は減少の一途を辿るしかない。でも、そこまで深刻な事態であるとに、美大を運営する側は、教授陣も含め誰も気づいていないだろう。 定員割れという不名誉な事態は、大学の名誉にかかわるのか、あるいは風評被害に繋がるリスクからか、各美大は定員そのものを低く設定し始めているという。時代は変わっているな~と実感する。何度も繰り返すようだが、日本の伝統工芸は、世界レベルであることは間違いない。あとは、藻谷浩介が言うように、付加価値をどれだけ付けられるか、それにかかっている。 |
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ジャンル分けで紐で縛られた吉本さんの本棚.................ほぼ日刊イトイ新聞「猫屋台」より |
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話が大分飛んでしまった。そう、吉本隆明183講演の話だった。 そのリストをよく見てみると、忘れていた講演もけっこうあり、結局10講演くらいは聴きに行っていたことに気付く。すべて皆さんにはお勧めしたいのですが、切り口が一般的でないので(常識を超えているので)何を言っているのかサッパリ、となりそうで怖くて選出できません。誰でもが感心しそうなのは、夏目漱石と宮沢賢治に関しての講演でしょうか。僕自身は「障害者問題と心的現象論」とかが一番興味深いのですが。内容は以下↓ 身体とは何か、身体の障害とは何か、精神異常とは何か、 それはどうすればいいのかということは、 人間の歴史が最後まで解決を残すだろう問題です。 〈肉体としての身体〉は、何十万年後になっても、 「どこが進化した、どこが退化した」と 変わることはそんなにないと思います。 しかし〈身体の像〉は時代によって 刻々と変わっていきます。 身体に関する障害や精神障害には、 神様に近いと崇められた古代から、 働けないから人間以下だと蔑まれた 近代社会に至るまでの、 目もくらむような価値観の変遷というものがあります。 けれども現代、精神障害、身体障害は 「神でもなければ人間以下でもない、それは人間なんだ」 という概念が少しずつ闘いとられてきつつあるということが、 唯一の解決の糸口なんじゃないかと思われます。 「ほぼ日」hpより |
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吉本さんと奥様(和子さん)...........ほぼ日HPより |
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自分というイメージをどうもつか・・・・・これはとても難しい問題です。大昔、吉本さんが言うように、僕らは”熊”だったとか”ワニ”だったとか”山椒魚”だったとか言っていた訳です。王家は”ライオン”だったりしました。そして今、僕らは自分をどうイメージしているのか。。 障害の乗越え方が述べられている講演を聞き、トーテミズムまで遡ることで実相を掴もうとするその徹底さは、他の類をみないことに気付かされる。 「吉本隆明183」は未だ半分ほどしか聴けていない。まだまだゆっくりと聴くことが出来そうだ。そして何よりも心強い恩師が横にいるようで仕事もはかどります。 ほぼ日に感謝! |