それにしても  
   
昨年の晩秋頃に見た映画「帰ってきたヒトラー」のインパクトは、現実の世界政治の状況と重なって、なんとも不気味に心の中にしこりとなって今に続いている。

ある日、過去から現代のベルリンにタイムスリップしてきたアドルフ・ヒトラーが、テレビ番組の製作者と出会い、彼を案内して訪れる様々な施設や組織を訪れるのだった。
 

常滑レポート index
02/06  それにしても 
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2005~2016  常滑レポート index
自分の企画を持ち込んではボツになり、凹む日々を送っていた番組製作者は、ヒトラーの姿を、言動を写して番組とし、テレビ局に持ち込む事にする。当然、公共の電波に乗せるべきものではない姿であり、発言もドイツ・ファーストなものなのだ。

ヒトラーはモノマネ芸人として、やり手のプロデューサーの裁量でトークショーに招かれ番組の看板司会者をやり込め喝采をあび、やがて番組の看板に成り上がっていくのだ。
 
当然、良識ある視聴者からは避難のメッセージが寄せられるのだが、それにも増して愛国心に溢れ、ゲルマン民族の優秀さを称賛し、政治家の腐敗と無策を批判するヒトラーの姿には称賛の声が寄せられ、ヒーローになっていくのであった。

グローバリゼーションが世界の潮流であり、アパルトヘイトが廃止され、黒人大統領が誕生し、次は女性大統領かという流れが、まさかの白人至上主義でモンロー主義の復活を声高に叫ぶ大統領がアメリカに登場するとは、あまりにブラックではないか。そして、ジョークではなく現実なんだものなあ。
   
その大統領を選んだ多くの大衆の中にはテレビ伝道師の言葉に感涙を流し、その聖書の物語を丸呑みする人々なのだという。人類は神が粘土でつくったものであって進化論などはまやかしなのだと信じて疑わない人々なのだと。

ひるがえって我が国だ。防衛大臣が「神武天皇の偉業に立ち戻り・・・云々」との発言には驚かざるを得ない。神社本庁あたりが背後でうごめいているのだろうが、神国日本という愛国心・優越感をくすぐる物語にはヒトラーの姿が透視されてしまう。
 
   

橿原神宮があり、神武天皇陵があり、古事記・日本書紀に基づく皇室祭祀があるのだから神武の架空人物説を論証するのは、それなりの知識が必要になる。そして、それを否定するからといって神社の存在を、信仰形態を否定するものでもない。

ただ、歴史的事実と信仰とは別のものとする判断ができない人物が国政の中枢にいることの危うさは否定しようがない。

 
  2005~2017  常滑レポート index

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隣国の大韓民国も激情に流された大衆に政治家がコントロール機能を喪失し始めているように見えてならない。朴裕河の著書『帝国の慰安婦』が名誉毀損で訴えられるなどとは、あまりにもだ。司法は幸い無罪と判決したが、事実を事実として公表できない事、そして悲劇のヒロインを創作して加害者を責め続けるエンドレスな物語。

この訴えを起こし、少女像をあちこちに設置する民間団体がキョレハナという団体である事は最近知って、納得したのであった。南北分裂民族の悲劇があり、日韓併合があり、強制連行や厳しい労働などがあり、在日差別などなど根深い問題は風化することもないのだろうし、させてはいけないものでもあろう。
しかし、事実と隔たる少女を象徴的に性奴隷に仕立て上げ、日本に強制連行された悲劇で反日感情を煽るやり方というのは、いかにも惨めではないのだろうか。韓・日・米の軍事協力、対北経済制裁などを分断させるための手段だとしてもだ。そして、それに煽られる韓国の大衆もなんだか、それにしてもである。