禅と陶  
桃山の陶芸が大輪の華を付けた東濃の地、美濃焼の中心、多治見には臨済宗の名刹、虎渓山永保寺がある。となりの瀬戸には曹洞禅の古刹、雲興寺がある。知多半島では鎌倉末から南北朝にかけて臨済の禅寺が現れるが、戦国期の水野一族の菩提寺たる宇宙山乾坤院が曹洞宗の古刹となる。随分新しい創建である


永保寺は枯山水式庭園の確立者とも言うべき夢想疎石を開山とし南北朝末期の創建。かたや雲興寺は室町期の創建で室町将軍足利義輝から信長・秀吉・家康と時の権力者から庇護を受けている。


桃山陶は茶陶に限ったものではないが、桃山陶の美は侘び茶の美意識を抜きに語ることはできない。
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利休の侘び茶確立に先立ち大きな役割を果たした村田珠光は一休宗純に参禅し趙州喫茶去の公案を受けている。そして、柳は緑 花は紅と応じて印可を許されたという。

一期一会は利休の語にして、臨済の高僧、虚堂智愚は、相送って門に当たれば修竹あり、君がため葉々清風起こる(相送当門有修竹 為君葉々起清風)と詠んだ。会者定離の理を表す。

茶人は参禅するが如くに茶事を営んだと見るべきであろう。さすれば、現代人を苦しめる長時間の正座も頷かざるを得ないことになる。
それでは、茶人の美意識を体現した陶工はいかがなものか。臨済・曹洞の古刹が存在することからすれば、陶工達の身近に禅の指導者はいたであろう。その禅の修業が山野に展開されたこともあるはずで陶工の仕事場と接することも推定できる。

しかし、そうした坐禅修行が陶工レベルにまで広く行われていたのかとなると皆目検討がつかない。公案を解く臨済宗のスタイルなどは、とても無理なのではなかろうか。不立文字・只管打座の曹洞宗ならまだしもか。
 
常滑市民俗資料館




川喜多半泥子は百五銀行の頭取を務めた経済人にして陶芸家であった。大規模な回顧展が開かれたのは昨年だったか。個人的には、いまひとつ好きになれない作行きのものが多いのだが、その作陶に影響された作家は少なくない。

当然のことながら半泥子は売るために茶碗を作ってはいない。自らが満足のいく茶碗を欲しての作陶である。そういう制作態度が影響を与えた面も少なくはないのであろう。彼が若い頃から南禅寺に参禅していたという事実と茶陶への没入は、偶然のことなのだろうか。その陶号・半泥子も南禅寺の大徹禅師によるという。

彼は彼の中にある茶碗とはこれなりというべきもの、禅の悟りとしてのそれを持っていたと推測する。そして、それが仏性の示現になると言っては言いすぎかな。あんまり好きではないと言ってしまっているのだし。

半泥子以上に多くの陶芸家に影響を与えたと思われる人物が北大路魯山人である。魯山人は書家であり料理人であった。自らの料理を盛るに足る器がないとして陶芸の世界に入っている。
 往復書簡    


東さんの抽象作品について
「侘びさび」その他
no.3 補足の返信
「侘びさび」no.3 補足
「侘びさび」no.3
 「侘びさび」no.2
「侘びさび」


















 
彼は衣装としての器という見方を述べている。衣装次第で人が見違えるように器次第で料理の味わいも変わるのだと。充分に頷ける意見であり、今日多くの器はこの方向で作られていると言って過言ではない。それはデザイナーの流れというべきであろう。

しかし、抹茶碗に関しては茶の味を良くするための造形という方向性は薄いように思う。

もちろん点て易い形であり、飲みやすい器であり、加えて茶の色が映える色調といった傾向はあるのだが、それは茶を美味く味わうことが目的でそうなったのではなく、総体としての美意識の反映であり、中身と衣装という関係ではないと思う。
 
そして、侘びた味わいの焼き物が多くこの関係の中にある。それは器だけでも深く鑑賞するに値し、華を活け、茶を点て、料理を盛っても同じく味わい深い。そこに、かつて仏性として悟られた美が内在しているからだと思うのであるが、如何なものだろう。

民藝の創始者、柳宗悦の学習院時代の英語教師が禅の碩学、鈴木大拙であり、生涯交流があったことと民藝の美が仏性の示現を目指したていたように思われることとも無関係ではないように思えてならない。美信一如とか。 
 
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