自然の素材・人工の素材
常滑は知多半島に位置している。この半島は、その大半を標高100m以下の低丘陵が占めている。そして、丘陵には樹枝状に谷が入りこんでおり、浸食が進んでいる。

丘陵を構成する地層は、第三紀鮮新世に属する常滑層群と呼ばれている。この地層はシルトと砂の互層に亜炭や火山灰などが混ざる比較的軟質の地層である。よって浸食されやすいのだが、シルトや砂は陶土を構成する重要な要素である。

およそ650万年前から250万年前にかけて東海湖という湖に流れこんだ砂泥で、なんと厚さは700mにも及ぶのだと地質学の先生は書かれている。

この地層の成り立ちは瀬戸や多治見も同様で、彼の地もまた東海湖の最盛期には湖底に沈んでいたのであった。この地層の粘土が、やがて陶土として利用されるのであるが、常滑周辺の土には多くの鉄分が含有されている。

鉄は酸化すれは赤くなり、還元状態にあると黒くなる。赤錆・黒錆は理科の酸化還元で習ったはずだが、これが粘土に入れば、陶器の素地に色が付く。白い素地にはいろんな絵具で彩色可能だが、カンバスが色付きとなれば、そこに乗せることができる色は限られてくる。
天保年間というから幕末、1830年から40年代半ばまでの事だが、二代目の伊奈長三(ちょうざ)は、常滑村の東隣にある板山村の山で白く焼きあがる土を発見。これは板山土(いたやまつち)と呼ばれ、これから常滑に白泥(はくでい)焼が生れることになった。

長三とは長三郎の郎の一字を取って陶号としたのだが、五代目の長三を襲名するはずの当主が手先不器用なため自ら作陶をせず、職人を抱えて製陶業に転進、その息子と立ち上げた会社が、伊奈製陶、今日のINAXである。

二代長三は、この白泥土を得て、これにコアマモという海草の乾燥したものを付けて焼くことで、海草部分が灰釉状になり、その周囲が赤く発色することを発見。これを火色焼と称した。今日、これは藻掛けと呼んでいる。

板山土は、昭和初期に常滑の大手の窯屋が買い占めてしまった。その後、定納土という白泥土も見つかったが、これもまもなく枯渇した。そして、瀬戸の土を用いて白泥土もどきができるようになった。

「よき工芸はよき天然の上に宿る。豊な質は自然が守るのである。器が材料を選ぶと云うよりも、材料が器を招くとこそ云うべきである。民芸は必ずその郷土があるではないか。その地に原料があって、その民芸が発足する。自然から恵まれた物質が、産みの母である。風土と素材と製作と、是等のものは離れてはならぬ。一体である時、作は素直である。自然が味方するからである。」『下手ものの美』柳宗悦 大正15年より

朱泥(しゅでい)は、田んぼの耕作土の下にできた粘土層の粘土に鉄分を多く含む山土を2割ほど混ぜて甕の中に入れ、水を加えて攪拌。これを繰り返すと重い粒子から先に沈殿して上層にいくにつれて微粒子の粘土のみとなる。

上澄みを捨てて上層に堆積した微粒子粘土が朱泥土になる。これを酸化焔焼成することで朱泥が得られるのである。この製法が確立するのが安政元年。白泥に遅れること10年余ということになる。

この朱泥土は常滑周辺の田土が枯渇すると半島南部の水田地帯から供給されるようになり製土業者が半島内に点在するようになった。

ところが、この田土は石膏型に流し込む鋳込(いこみ)製法に向かない。田土は石膏型から離れないという特性があった。この問題をクリアーしたのが、その後、朱泥原料を一手に商うことになる業者であった。彼は製土業の家で養子として育ち、工
場の試験室に勤め、後に独立して会社を興したのであった。研究熱心で天才肌である。

田土をわずかに含ませ、いろんな原料をブレンドした代用朱泥は一世を風靡し、田土の製土業を駆逐していったのだった。ところが、朱泥そのものが、今、危機的な状況下に置かれている。秘伝を組合に伝授して数年、代用朱泥の需要は急減してしまった。

  
(江戸時代の窯....常滑ラボより)
「確な作物には確な材料が最も肝腎である。なぜなら材料の確かさが用途を一番よく守護するからである。用に堪え得る力の半は材料から来るからである。而も材料は天然のものが最も確である。なぜなら人工的に精選して了ったものは、知識のためにいじめられているからである。天然のものには骨があり、且つ素直さがある。それこそ用途のために欲しい性質ではないか。」『民芸とは何か』柳宗悦 昭和6年より

以前、訪れた備前焼の作家は、とにもかくにも原料土だ。土が造形を求め、作品の出来を決めると断言されていた。あるレベルに達すると、自然にこうした素材の声が聞こえるようになるのかもしれない。彼の李朝風の茶碗でいただいたお茶は、とても良かった。いまだにイメージが脳内に残る。そして、自然な美が宿っていたと思う。

その一方で、だったら何も作らないほうが良いじゃん、物造りとは、しょせん不自然な行為なのだから。人間の文化は、すべて自然に対立するものだし。などと臍を曲げてみたくもなる。柳の自然に対する手放しの礼賛は、いかにも白樺派という感じかな。でも聞くべき要素は少なくない。

もう一つ、自然の素材ながら稀少価値の高い素材を柳は否定している。個人業者に買占めされてしまう程度の埋蔵量の自然な素材は柳がいう民芸の素材とは異なるものとなる。産地においては、ありふれていて、人の手の加わることの少ない材料が柳の天然自然の原料であり、民芸の美をもたらす資材である。