枯れゆく工場
 昨年あたりから、その異様な形相に惹きつけられている工場がある。現在は東窯工業となっているが、杉江嘉左衛門家が創業した丸十杉江製陶所である。土管からタイル・テラコッタなど常滑の近代産業の王道を歩んできたのだが、今は砥石の製造に特化している。
 その砥石は、現代日本が誇る金型産業の必需品で、金型の研磨に用いられるのだという。中小企業の花形が金型だが、その金型産業に常滑の中小企業が絡んでいるということを不覚にも、ここで初めて知ったのであった。

社長の杉江重剛氏とは旧知の仲ではあったが、最近はご無沙汰ばかりであった。そして、工場の前を通りかかると、人影のない場内の一角にシルエットでそれとわかる重剛さんを見つけて、惹きつけられるように入ってしまった。
 その工場の空間たるや、まるで「千と千尋の神隠し」の中に出てくる、うら寂れたテーマパークのようで、どこかに「顔なし」が潜んでいるのではと思わせるような場であった。

 従業員は20人ほどもいるのだが、この日は休みになっていた。「3連休にしたら、みんなよろこんで…」とは重剛さんの弁。従業員はみなさんご高齢。休みは多いほど良いのだ。
工場も高齢で、あちこち痛んでくるのだが、もう修理はしないのだと。そして、壊れるなら、それにまかせてやろうと思っているのだと、これまた社長の弁である。スゴイ。

 しかし、その枯れて行く様が、なんともすごい雰囲気を醸しているのだ。ここで詩の朗読会のようなイベントも考えているのだともおっしゃる。若き日、法政で谷川徹三先生の講義を聴いた重剛さんは、当然、俊太郎氏のことをイメージしておられるのであろう。

 少なくとも数十年はかかって醸された場の雰囲気なので、そこいらの俄作りのテーマパークとは訳が違う。そして、その所有者が滅び行く工場を明らかに楽しんでいる。このまま壊れていって、立ち行かなくなったときが、工場閉鎖の時だと
 ハイテク産業を支える金型の技術は、海外に流出して行きつつも、なお、日本で作られた金型のレベルは高く、高級品の生産は日本で金型が作られるという。その金型の研磨に使われる砥石の生産は、この先どうなって行くのだろう。

 そんなことを思いながらネット検索をしてみると、砥石製造業はたくさんあり、その中にはノリタケ・カンパニー・リミテッドの名前まであるのであった。そういう点からすれば、東窯工業はよくぞこの設備で淘汰されることなく存続しているものだと感心させられるのである。
 金型の技術も職人芸としてあった要素が、どんどんハイテク化され機械に移されていったようだが、砥石製造の職人芸的要素も、さしたるものでもないのであろうか。そんなもんじゃないと思いたいのだが…