アンコール
年末年始の休みのつながりが良く、長期で休めた昨年末、何年かぶりで日本を出ることになった。子供たちも成長して、そろそろ最後になりそうな予感のする家族旅行である。

この季節、北に行くのはつらいので、どうしても目的地は南方面になる。今回はカンボジアのアンコール遺跡群を見に行くことにした。はじめてなのでツアーに参加したのだが、我が家4人と1人で参加した中年男性を加えた5人のツアーで、ほとんど貸切状態。
アンコール・ワット、アンコール・トムといった超弩級の遺跡以外にもこじんまりとしながら、とても魅力的な彫刻を持つ建築群が、そこここに散在する。
遺跡群はかつて内戦時代、ポルポト軍の勢力化にあった地域である。ヒンズー神話の浮き彫り群の中に弾痕があったりして、それなりにダメージもあったことが窺えるのだが、クメール・ルージュというくらいクメールの伝統に重きを置いていたのだろう、ポル・ポト軍は遺跡破壊という愚だけは冒さなかった。
そこに行くとアフガンのバーミヤンの大仏を破壊してしまったターリバーンの行為は何とも根が深い。彼らは世界遺産を観光資源として経済的に潤うことを愚かな行為と見るのだろうし、イスラムの神以外の宗教を認めないのみか、偶像崇拝を禁ずるイスラムの教えに従うのが原理主義というものであろう。仏像は偶像そのものなのだ。
アンコール遺跡群に散りばめられた偶像の数々が、どれもこれも魅力的で、もうカメラはフル稼働。連日撮りまくった画像は、持参したモバイルP.C.に保存するという作業をホテルで繰り返すことで問題はなし。

かつての宗主国であるフランスやインド、そして日本もユネスコと協力したりして遺跡の保存や修復事業に取り組んでいた。崩れかけた石造物の美しさや植物に侵食され崩れていく姿も美しいのだが、やはり崩れるスピードは遅いに越したことはない。
12世紀後半という仏教の寺院には、観世音菩薩といわれても、なんとも違和感の残る顔立ちなのだが、ここはインドシナなのだった。ヒンズーの影響が大きいとみた。

ヴィシュヌやシバにまつわる物語の絵巻にはアプサラが群舞し、戦士が行列しさらに阿修羅と神々の綱引きが描かれる。そうした神話の内容を理解してなくても、違和感の残る観音もともに圧倒的な存在感なのであった。
そういう彫刻てんこ盛りの建築を毎日見た後、未完成のヒンズー教建築といわれるタ・ケウを訪れた。現地ガイドは、「ここは未完成なのでなにもありませんが、よろしかったらどうぞ」と、なんとも力のこもらぬ案内であった。

ところが、なんと石を積み重ねただけの建築のなんとも新鮮なこと。デコラティブな建築や工芸全盛時代の後、バウハウスのデザインが一世風靡したのがよくわかるなんていうと、ちょっと飛躍しすぎかな。
日光東照宮と桂離宮の関係ってのも悪くないか。単に濃い味付けに飽きて、蕎麦が美味しいといったレベルではなく、タ・ケウの造形には石という素材そのものが持つ美しさが、そのまま現れているということに違いない。これは「もの派」か?
いろんな見方もあるのだろうけど、まあ単純に未完成の、未完成ゆえの美しさを感じてしまったということだな。

遺跡群のすばらしさ以外では、織物にちょっと見るべきものがあった程度か、お土産として売られている彫刻、工芸品に類は遺跡のまがい物ものみたいなものばかりであった。残念。