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返 信 10/20

中 野

ところで、陶芸は抽象表現を始めたころから、陶芸をファインアートの中に位置づけながら、しかも独自の分野であるという位置づけを求めるようになってきたように思えるのですが、東さんの抽象作品は彫刻の中で漆やその他の素材を組み合わせるという表現形式を採用したものであって、とりわけ漆芸を独自の分野としてはいないとおもうのですが、いかがでしょうか?

10/15 nakano

ご指摘の通りです。

簡単に説明するのは大変なんですが・・・

僕自身、ものを作り始めた頃、特段「漆」に拘っていた訳ではなく、たまたま漆の世界に入っていたので、「表現すること」ができればどの様な素材でも構わないと考えていました。


(「深海の泡がはじけた時に...」67×38×5cm)
(廃材に彫刻+漆)
そして、ものを作り始めた頃、自分(たち)の表現を根底から支えているものは何なんだろうか・・・・?といった疑問が立ち上がって来てこれとちゃんと向き合わなければ先は無いなと感じていました。

そこで、徹底してその辺の資料を貪欲にあさり僕自身を納得できる表現や思想と出会うことになります。
結果として僕の出した答えは、どのジャンルにも所属しないものを創りたいということでした(懐かしい)。

(「楠の残したもの」15×10×8cm)
(廃材に彫刻蒔絵+漆+緑青=ブロンズ蒔絵を腐食)
なので、陶芸のような所謂オブジェではなく(素材にアイデンティティーを於くという意味で)、だからといって当時元気だった現代美術でもなく勿論、日展などに見られる近代美術のコピーでもないもの・・・・・
そして、抽象と具象という範疇からもはずれるもの・・・・・
・・・・・・・と行き着いたところが、僕の今のスタイルです。

(1980年以降、自分の中で「新しさ」の概念がすっかり変わってしまいました。

それは、それまでの様に新しい形だったり、材質だったりということではなく、重要なのは「新鮮さ」だと考え始めたことです。

例えば、一つの作品の中に古い様式を部分的に入れることで、単一な時間軸ではなく、幾つかの時間軸を混在させることである「新鮮さ」を演出できるのでは....?と考えたりしました。 補足)

(「薔薇の向こうに青空を見た日」)(20×10.5×4cm)

檜材+日本画岩絵の具+インク+アクリル絵の具etc)
どこにも所属しないということは、皆さんには分かり辛いということと同義なので、「良く分からん」と見られているかもしれません。

でも、やっていて楽しいので、これはこれでいいのかな・・・と思っています。
でも、最近はこの分野の仕事を気持ちよく展示してくださるギャラリーが少なくなり寂しいところです。また、そうなると自分でも以前のように積極的に制作しようとはしなくなりつつあるのが現実です。

それに、体調を壊した後、自分の余命を逆算するようになり、ここは出来ることを絞って掛からないと、人生自分の思っているほど長くはないぞ!と「漆工芸」を徹底しようと覚悟を決めたところがあります。

こんなところでしょうか。