仏 性 | ||||||||||
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四月の初め、春めいた一日、四十九日の法要を済ませ、新調なった石塔に納骨を済ませて親戚一同27名で忌明けの会食をして、父親没後一連の儀式を終えたのであった。形式主義と忌み嫌っていた若い頃の自分を懐かしみながら。 水を掬すれば月は手にあり 花を弄すれば香衣に満つ。 掬水在月手 弄花香衣満 著名な禅語にして悉有仏性の理を奇麗に表現している。山川草木いたるところに仏性は姿を現している。たしかに。花鳥風月は言うに及ばず、路傍の石ころにすら得も言われる美しさが宿ること珍しからずだ。 |
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その至るところに姿を現す仏性なるものこそが禅家の美であり、枯山水の庭の根底に潜在する核に相違ない。 神仏に裏打ちされるから美は美として存在するということになろうか。そして、悉有仏性は万物に霊を見るアニミズムに繋がり、日本では受け入れやすい。さらに、老荘的仙境の美もこれに近い。 |
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それは、禅家が山に籠り、大自然の中で修行することと無縁ではないように思う。草庵の茶室なども、これに近い位置にあると思う。 そして、今、道教のなんたるか老子も荘子も知らず、曹洞も臨済も黄檗も知らない人々が主流となろうとする我が国にあって、神仏に裏打ちされない美の時代が到来するようになるのだろうか。 |
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常滑市民俗資料館 |
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デザインの仕事をやりながらギャラリーで写真や現代アート的作品を発表してきたという若い女性の話を聞いた。 伊勢神宮など神道の神の在り方に関心があって、いろいろ調べて斯く斯く云々というお話なのだが、その神の話は著しく偏っていると僕には聞えた。自分がこうではないかと思いたい説のみを鵜呑みにしているとしか思えなかった。 |
往復書簡
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ミスリードから新たな展開は起こるのだと教えてくれたのは東先生である。目くじら立てることでもないす、むしろ想い込みから創造は生まれる可能性も高い。そういえば、僕が知ってる陶芸家は、自分勝手な見方で古陶磁を見ている。 岡本太郎は縄文土器を絶賛し、その一方で弥生式土器も埴輪も同じもののように括っていた。埴輪は古墳時代のものだ。 日本に伝わった大乗仏教そのものすら竜樹菩薩によって改編されたものであるのだから、さらに禅など中国で生まれた宗派なのだから、いたずらに知識の正確さを云々しても不毛なのだろうが・・・。 自分は物つくりに向いていないのだと実感する。でも、大王以前の渡会神道なんて渡会系の人の我田引水以外のなにものでもないよ。 |
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