寒が明け、立春大吉とはあいなり、陽春の候となった。尾張国府宮では天下の奇祭に数えられる裸祭が行われ、各地で春の訪れを祝う神事・祭礼が目白押しとなってきた。



国府宮の裸祭は、一年でもっとも寒いとされる時期に斎戒沐浴した神男に向かって褌一つの裸男集が群がっていく。神男に触れて厄を落とすことが目的である。この神男は今でこそ選ばれし名誉職とはなっているが、江戸時代には芯男といい、往来を通る旅人が無理やり芯男にされていたという。



この裸祭が裸男の群れる祭になったのは江戸時代も幕末のことで、それ以前は着衣の群集が芯男に群がり厄を落としている。そして、この行事は今も正しくは儺追(なおい)神事と呼び、その起源は古代の宮中儀礼のひとつ追儺(ついな)に求めることができる。
この芯男・神男は祭りの最後、夜中の三時に厄を搗きこんだ餅を背負わされて村を追い立てられるというシンボリックなシーンを演じている。選ばれた神聖なる人物にたいして、あんまりな行いなのだが、この芯男は江戸時代以前においては儺追(なおい)捕りという行事によって周辺の村から捕まえられ、その年の儺を無理やり負わされた存在なのであった。



やがて祭礼の頃に神前を歩く旅人を芯男として捕まえるというように形がかわり、その芯男に厄を背負わせて村から追い出すというように変化し、さらには賃金を払って村人を雇い入れる形になり、明治に至って志願者から籤で決めるという形に変化するのだという。



この厄を担った芯男の姿は各地の春祭りに登場する鬼の姿につながるのであった。縁あって豊橋安久美神戸の神明社で執り行われた鬼祭を見学した。青鬼・赤鬼と天狗が絡み、やがて天狗は退場。その後たんきり飴を大量の饂飩粉とともに撒き散らしていく。
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もちろん、この飴はツブテ・飛礫の変身した姿であろう。そして、その飛礫をもって追われたのは鬼であったはずなのだが、いつしか鬼が投げる飛礫に民衆が群がって真白になって喜んでいる。芯男が神男に転換するのと同じベクトルである。



さて、鬼は修生会(しゅじょうえ)の中の追儺の儀礼に登場するのが早い。そして、その
修生会のような行事は東大寺の二月堂で行われる御水取りが有名だ。個人的には、この御水取りが済むと本格的な春が到来するという記憶が脳内に沁み込んでいる。旧暦の2月初めに執り行われるのだから太陽暦では、すでに3月に入っている。



なおなお、蛇足になるが鬼祭の由緒として公式に発表されている高天原の大神のところへ荒ぶる神が現れて、いたずらをするので、武神がこらしめようとして、両神が秘術を尽くして戦い、遂に和解し一同よろこんで神楽の舞をしたという話は、昭和も戦後になって、神官が創出した由来譚である。
常滑市民俗資料館
伊勢神宮にちなむ神明社なのだがらアマテラスの高天原の話にしたがよかろうという所であろうか。なんとも薄っぺらな印象である。



この、二月堂のお水取りは修二会(しゅにえ)という行事であり、二月の初めに行われる。正月に行われる行事が修正会で、修正会・修ニ会(しゅじょうえ・しゅにえ)はセット
関係にある。東大寺のお水取りでは松明をもった11人の僧侶が二月堂を勇壮に走り回る。この松明が登場し、同時に鬼が絡むのが岡崎の瀧山寺で二月に行われる鬼祭である。



東大寺のお水取りでも、まずはじめに天狗寄せなる行事があるという。山伏・修験の影が見えるのだった。役行者(えんのぎょうじゃ)を開基とする縁起を持つ瀧山寺である。修験道の本流に近い。そして、ここで用いられる松明は鬼を追い払うためのものであったと見るべきであろう。
常滑市民俗資料館




東三河の鬼といえば花祭りが想起される。こちらも山伏・修験が起源ながら田楽の系統で五穀豊穣やら無病息災といった祈りが反映している。しかし、ここでも鬼が主役である。そして、このところの山岳仏教やら修験道やらに妙に惹かれていたからだろうか、ここにきて鬼に巡り合ってしまった感じだ。



たまたま書店で手にした平凡社ライブラリーに入っている丹生野谷哲一氏の著書『検非違使 中世のけがれと権力』増補版を読んでいたら、ここにも鬼が出て来て、しかも半端でなく根源的というか日本の文化の底流に根ざす形の鬼が表れているように思えてならないのだった。



しかも、常滑焼の出現期にあって各地に経塚が築かれ、浄土が希求されていた時代に鬼もまた本格的に活動するのである。(つづく)
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