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続・「侘びさび」その他への返信 10/19
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中 野 |
東 |
また、漆器は伝統的にシンメトリーの造形ではないかという点が、歴史的に「侘び錆」から遠いところに位置してきたのかなと思うわけです。もちろん東さんの作品に非対称的造形があるのは承知していますが、根来や春慶や鎌倉彫で意識的にクズシのフォルムを志向した形跡はあるのでしょうか。

(水鳥彫香合) |
春慶塗りに関しては、申し訳ないのですが、今まであまり興味が無かったこともあり、殆ど知識がありません。
根来に関しては、所謂象徴としての中塗りの「研ぎ出し」がクズシといえばクズシといえるかもしれません。現在の根来は、故意に古びを出すために上塗りの朱漆を研ぎ破ることを例外なくやっているようです。
何十年使い込まなければ黒中は出てきませんので、いろいろ批判はあるようですが、これは仕方ないようです。
鎌倉彫に関しては、「クズシ」という意識ではなく、下手物を逆手に取り「ヘタウマ」として、クズレちゃった?という開き直りの様なものが若干見受けられますが、あまり多くは無いようです。
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漆は縄文土器に既に施されていて、その朱色が自然を覆い尽くすような凄さがありますよね。
器物の表面をコーティングする素材としては不自然なほどのパワーを持っている。そして、その素材の強い特性から脆さを内包する「侘びサビ」を抽出するのは、かなりな力技なのだと思うのです。
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苔むした庭木をめでる縄文人というのは、なかなかナイスのイメージかも。(10/19)
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多分、縄文時代には「侘びサビ」の概念は無かったと思われるので.....想像の域は出ませんが....あるいは、在ったかも知れませんが、ものそのものが「侘びさび」ちゃってるので確認するのも難しそうです。
人の精神レベルは、昔と殆ど変わっていないので、僕は「侘びさび」を感受するくらいの感性は、縄文の人々にもあったのではないか...と密かに考えています。
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日光のラビリンスは、青貝・螺鈿の華やかさと異質でしょうか?
ちょっと時間切れなので、問いかけのままで失礼します。

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恐らく日光のラビリンスに関しては、この先徹底した研究テーマになりそうなので、詳しくはその時という事になりますが、日光東照宮のもつ美意識は、贅を尽くすことによる言わば成金美術です。
それを根底から支えていたのは、中沢新一の言うように、大阪を中心にする近世の貨幣経済のダイナミックさでしょうから、インテリにはあまりにも露骨で、そのキッチュさには、ちょっと絶えられない?と思いますネ。
なので、キンキラキンには負けますが青貝・螺鈿の華やかさも当然重なるものがあると思います。
しかし、伝えたいことは「富と権力」ですから一目見て「金」とわかるあの輝きには敵わないと思いますが、いかがでしょう。
今回で9/29に頂いたメールの返信は済んだことになります。引き続きこの後に届いたメールの返事に移りたいと思います。
10/19 azuma |