老人と若者と
今夏、日本民藝協会の夏期学校が常滑で開催されることになり、その講師を務めた。なにも、ここのページで柳のことを書いていたのが縁ではなく、東海民藝協会なる下部組織の会長が常滑出身の伊奈さんになったことと、夏期学校の開催地が愛知に回ってきたという事情の重なりが機縁となった。

参加者の面々を見れば、ここも高齢化が著しく、このままいくと組織として難しくなるのではないかと危惧されるような状況であった。柳の主張に呼応して全国的に民藝運動が進展し、それを支援する経済人が各地にいたというのは、いささか皮肉な現象ながら豊かなものを感じないではいられない。
その後、地元のローターリークラブに招かれてテーブルスピーチをする機会があり、バーナード・リーチを囲んだ常滑の昔の名士達の写真を提示しながら、常滑の地でもかつて会社の経営者たちは陶芸家を支援し『工芸』を定期購読しているような人が何人もいたのだという話をした。

その折、若き経営者はリーチの名を聞いても、その何者であるかを知らず、写真を見て「貿易会社のバイヤーかなんかですか。」と僕に訊いたのだった。彼は僕と同世代であり、社会的にも指導者として認められている。おそらく今の経営者に求められる情報の中に「工芸」というキーワードはないのであろう。
柳の『民藝』が実体としての民衆から乖離したところに成り立っていたことは、その後の民藝系の作家の活動が明らかにしているのであろう。その部分の修正をして見れば、今なお魅力的な主張ではあると思うのだが。



2年ほど前に常滑の陶芸研究所で研修していた財満君が、こんなものを作っていますといって土瓶を携えてきた。研修中もなにかと質問に来ていたので、その作品を見てあれこれとひとしきり話した。
見るのには悪くないが、いざ使うとなるとこれでは勝手が悪かろう。取っ手も金工をやっている友人に教えてもらって自作したのだという。いろいろな試みをしている最中だ。その意気込みや良し。されど・・・。

あれこれ注文をつけたあとだが財満君は、この作品を置いていきますので何かに使ってやってくださいと言って去って行った。預かりものながら、出世してくれることを祈って買っておかねばいかんか。