椿といえば照葉樹林文化を代表するような樹木だが、常滑では藪椿の自生する林をそこここに見る。

とりわけ神社や寺の境内、裏山などの多くあるように感じる。そして、椿は様々に品種改良が為されている樹でもある。

常滑の神明社の裏山にある椿林は、かつて近在の文化人が椿の小道と称して散策したと聞いたことがあるが、椿好きがこの街にはしばしば現れる。そして、常滑の冬には椿が似合うのだと言う。

寒椿は今がさかりか。藪の椿はまだ蕾が硬い。それでも、このころからなにがしかの椿関連のイベントが始まる季節である。
今年は「冬の常滑 つばき展」と称するイベントが焼き物散歩道界隈の展示施設やギャラリーで同時開催された。NPO法人タウンキーピングの会が主催というのも今風であろう。

街の景観を維持し、その文化を伝えていくのは営利優先ではできないことであろう。しかし、行政主導の完全な非営利では淋しいものになりやすい。NPOというシステムはうってつけかもしれない。

今回のイベントでは活花アーティストと陶芸家と市内の和菓子屋さんとのコラボレーションが同時多発的に街の中で繰り広げられるという趣向である。街を椿でプロデュースといったところだろうか。

企画としては、とても面白い。そして、こんな形で街と焼き物とアートを素材に遊ぶことのできるフィールドが常滑なのだと改めて認識した機会であった。
花器として活花作家が選んだものが、かならずしもストライクとも思えない部分もあり、狭い空間に寄せ集められていたり、広い空間に紛れそうな作品があったり、まだまだ検討すべきところは多くあるようにも思えたが、結果はまずまずのところに達していることが予測できた。

実行主体は女性である。元気だ。そして、どんどん仕掛けてくる。器を造るのでもなく、花を生けるのでもなく、もちろん和菓子をつくるのでもないが、そうした専門職人を取り合わせて新たな状況を立ち上げていこうとする、そんな動きの中心にはいつも女性がいる。
女性の時代などと喧しくいわれたのはバブルの時代であったと記憶するが、常滑ではこれからのような気もしないでもない。工芸の世界にも実作者だけではなく、プロデューサーが必要なのかなと思えるし、その推進役は、あんな人なのかなと思える人が何人か思い浮かぶのだが、いずれも女性である。

小さなギャラリーや喫茶店を切り盛りしながら、基盤を築いて、そこからさらにステップアップしようとするとき、彼女たちは工芸をプロデュースしようとするように思える。

70年代から80年代にかけて、常滑でこうした仕掛けを盛んにやってきたのは鯉江良二であった。そして、その周りには若き陶芸作家とその卵たちが集まってきていた。
その動きは90年代には急速に消えていた。そして、今回である。女性の背後に良二さんの世代が透けて見えている。そして、彼らもまた元気なのである。ただし、その作品がいかにも大人しいところが、もう一息と思いたいところではある。

食器やインテリアは多く女性によって家庭で用いられるものだ。そこには、あきらかにマーケットが存在する。そして、女性プロデューサーは、そうしたマーケットを開拓してくれるであろうか。ちょっと期待している。寒いさむい冬あんがら、常滑で燃えている人がいてくれるだけで、こちらも暖かな気分を味わえるというところだ。