もう少し家が広ければ
もう少し家が広ければ、頭に白菜やキャベツやバナナを戴いた麗人たちをお迎えしたいところなのだが…。

この国の住宅事情では、そうとも行かない。ただ僕の稼ぎが少ないだけかもしれないが。

億単位の月収をあげる人が六本木あたりにはぞろぞろ居るというのだから、こんな麗人の集いを自分のマンションに展開することもできるということか。

共栄窯という土管屋さんの窯の中に最近、千香子さんが取り組んでいる光る人々のインスタレーションが現れた。常滑の窯ならではの演出である。

以前から窯の中ではジャズやリュートやフォーク歌手のコンサートが開かれていた。なんとも不思議な空間なのだが、こうして光る人が集うとさらに不思議さがましてフェリーニの映画の中に入りこんだような気分になるのだった。

そして、光る人は35万円という。出して出せない手ではないのだが、置き場所がちょっと問題だ。そこで、光る麗人たちのテーブルにある器を購入して、自分や家族も少し光ってみようと考えた。

あたまにキャベツの帽子でもかぶって御飯を頂こうかしらん。それじゃまったくグリとグラだ。わっかるかな。

職人仕事ではなんともならない下手な器なのかもしれないが、その何ともならないところを味わってしまうのは、僕が作り手の人柄を知っているからなのだろうか。

しらなくても、やはりこの作品を欲しいと思うのだろうか。たぶん思うのだろう。そこが千香子ワールドの魅力だ。多くの人を引きつける。
作品の完成度とか洗練されたデザインとかではなく、それは固有の雰囲気を発散する作品である。サインがなくても作者が瞭然としている。

そういえば時々、千香子さんもどきの作品も目にするようになった。でも本家と比べるとやはり似て非なるものであった。こうした領域は確実に残っていくのであろう。