風立ちぬ.................


今なら宮崎アニメがイメージされるのだろうか。。


このフレーズを一番最初にメジャーにしたのは堀辰夫。三島由紀夫が最も嫌う作家だと思うけれど「風立ちぬ」という響きを使う辺り並の感性ではないな~と素直に思います。


僕はというと、当時大っ嫌いだった松田聖子の「風立ちぬ」になります。

作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一 ですから名曲になるのは自明ですが、今聴くと松田聖子、無茶苦茶歌が上手いです。ブリッ娘に見えません;;



そしてこの「風立ちぬ」、堀辰夫の副題は「風立ちぬ いざ生きめやも」とフランスの詩人ポール・ヴァレリイの原詩が続きます。感覚的にはそのニュアンスは理解出来るような気がするのですが、きちっと理解しようとすると案外深いです。

ある方は、この「めやも」は「ざらめやも」の間違いではないか、つまり誤訳ではないかと仰っています。なるほどご指摘の様に「風が起る!… 生きてみなければならない!」という訳から「風が吹き始めた。さあ、どうして生きてみないってことがあろうか」となり2.26事件などがあった世相をきちっと反映した風になります。
 
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盲目の秋
 

    Ⅰ

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白(こくはく)な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑(ゑま)ひのやうに、

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでゐて佗しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

                      (中原中也)

月と並んで風もまた僕らの詩心に触れる事象です。

風が立つとは、それまで動きのなかった空気がにわかに騒めきたつ瞬間の様で、単に風が吹くというのとは違って、それまでと違った何かが始まる契機を意味すると僕は解釈します。


黄昏て、もうすでに終わってしまっただろうと思える自分の生を前に、虚しく鼓舞するかのように腕を振る............この時点で、中也の生は終わっていたのでしょう。。


僕も小学生の頃、漠然とした未来に向けて腕をぶんぶん振る感覚を持ったことがあります。それは風を切って腕を目いっぱい振ることで、稀薄でちっぽけな自分を感じると同時に、風を通して触覚として確かな自分が感じられたからだと思います。「盲目の秋」に出会った時、まるでデジャブの様に当時を思い出しました。

但馬の空
この連休、仕事は溜まっているのですが、古文書の講師が折角但馬の国の塗師の資料を解読し word に起こして下さったので辞書を片手に文書に目を通してみました。難解です;;

どうしてこの文字が(崩し字ですが)”尤”なんだろう。。とかブツブツ独り言を言いながら、よくこんな訳分からん文字を読めるもんだと感心し、これは正しく外国語を読めることに等しいな~と今更ながら森田講師の凄さに頭が下がった。きっと、もの凄い量の文書に目を通しておられるんだろうと思う。

    一札之事

 一 此度私義手間取を抱、新塗師企候処、先前より

  塗師中間堅ク之證文を以御吟味被成候段御尤ニ奉存候、

  然ル所ニ弥平治殿・次郎兵衛殿を以段々御中間江宜敷取持御

相談被成被下候様ニ申入候得者、中間衆中御了簡之上、

此度中間入可致筈ニ罷成り忝奉存候、然上者中間相

定之義、少シ茂御相談ニもれ申間敷候、尤先年中間

入用銀出来有之ニ付、割賦銀此度中間江差出申

処実正也、後日為證拠之致加判仍而一札如件

     宝暦五年亥五月      中町かうじ屋

                       甚十郎

                  證人   屋

                       新五郎

                  同ぬし屋 次郎兵衛

                  同断   弥兵衛

     塗師中間衆中


六月............倒壊当時








お隣の空き地に積まれた瓦礫(この六月に倒壊した土蔵)、区長がシコシコ片付けて此処まで来ました。

実はこの空地、僕が借りるっことになってます。所有権は区にあります。年貢?=賃料は1年/千円という破格なものです。これだと借りない方がバカでしょ。。
 僕のところの車庫は狭いので普通車一台が精々です。なので軽トラは目の前の空き家のスペースに止めてます。流石に気が引けるので、区長に隣の空き地を借りたい旨を伝えたところ、すんなりとOKが出ました。でも、もう暫く片付けには時間が掛かりそうです。

怪我を気遣ってフットサルをセーブしているのですが、どうも元気が出ません。いろんなことがネガティブに見えて来て、負のスパイラルに落ち込んでいきます。練習大好き人間の僕ですが、この歳になると練習し過ぎで膝に水が溜まります;;なので練習もセーブしなければならないというストレスが重なります。

つくづく考えました。それは、死ぬまでサッカーをしていないと全てが上手くいかないということ。そして、先日好い新聞記事を見つけました。神戸まで出ると、平均年齢70歳というチームがあって、毎月第二第四の火曜日に練習をしているとのことです。吉報です!


20代・30代・そして40代とのフットサルは、やがて限界が来る(今でも5・6点は取れる時もありますが)。流石に、ここ但馬では無理だよな~その時はどうしよう・・・・・と思案していたところです。


もうずっとこの歳までボールを追いかけてきたので、サッカー・フットサルは生活の一部になってしまいました。あと数年は、ここ但馬でフットサルを続け、身体に負担を感じたら月二回神戸まで出張と決めました。そうしたところ、此のところ落ち込んでいたのですが、何だかとても気が楽になりました。
夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも     湯原王


お約束ですが、秋はどうしてもセンチになります。センチって死語かな。。だからでしょうかバラードの名曲が多いです。そして、この時季にしか聴けません。
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 Fly me to the moon.  が秋の曲かどうか、その歌詞からは察しがつきません。でも、一番ぴったりくるのが秋ではないでしょうか。。そう感ずるのは、僕が日本人だからかも知れません。万葉集などをみても、秋の月を詠む歌はとても多いです。



人は満潮時に生まれ干潮時に亡くなる..........。


生命の起源は母なる海ですから、そこに生息する生き物が月に強く影響を受けるのは頷けます。僕らの身体の深い深いところに、はるか遠くの記憶が刷り込まれていて、身体性としての月の光が、連歌として僕らに歌を詠ませるのではないでしょうか。



秋立ちて 幾日もあらねば この寝ぬる朝明の風は 手本寒しも  安貴王
 
『Autumn Leaves』を聴きながらの更新です。



今日、久し振りに懐かしい声を聴きました。そうSAVOIR VIVREのオーナーと店長からから電話があったのです。丁度、糊漆を作っていたところで立て込んでいたところに FaceTime でiPadに画像つきのアクセスが入ったのです。・・・・・が、この機能を使ったことがないので???

慌ててiPhoneをとったのですが、基本的にiPadと同期しているのでモニターは同じ状況。おまけに、オーナの声はするのですが画面には自分の顔が接写で写り、まるでコオロギが目の前で喋っているようなシュールな状況です;;

先方も、何やら使ったことのないFaceTime に混乱しています。

結局、固定電話から掛け直して頂き漸く繋がりました。「災い転じて福となす」 FaceTime 今度是非使ってみたいと思いました。

AXIS 当初のSAVOIR VIVRE............... katachi 主幹の笹山氏と 1985年 )
お話と言うのは来年の個展のお誘いでしたが、面白かったのは、昨日オーナーが鎌倉彫の協会の企画で、それも鎌倉彫工芸館で講話をしたとのこと。時代も変われば変わるのものだな~と感慨ひとしおでした。



凡そ35年前、僕は鎌倉彫の世界に限界を感じ”オヤジ”(=博古堂社長のこと)に「お教室を中心とした今の鎌倉彫の業界がやっていることは生産性がなく間違っている・・・・」等々と、長々とした手紙を渡して、云わば啖呵を切って辞めました。今考えると生意気で無謀だったと思います。でも正解でした。

ただ今の僕があるのは”オヤジ”つまり博古堂のお蔭だとも感じています。もの凄く多くのものを頂きました。特に美術に関して。そして、その時切った啖呵の中身はと言うと「本当の鎌倉彫、工芸、そして日本の美術は、僕が体現していくので是非見守っていてほしい」旨の内容だったと思います。大見得を切ったな~と思いますが、正直な気持ちでした。

有言実行だったかどうかは定かではありませんが、今日まで一貫して自分の出来得ることはやってきたと自負できます。そして、当時からあらゆるもの全てを失ってもやりきるだろうな~という妙な自信がありました。それは、僕にとってものを作ることの根拠が「無限の前に腕を振って」自分を確かめることだったからです。



何だか鎌倉彫について語ってみたくなりました。次回はそうしたいと思います。

SAVOIR VIVRE ありがと~~。