(1984年4月 次男 耕介) |
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柔道女子日本代表を率いる園田隆二監督(39)らから、暴力やパワーハラスメントを受けたとして日本オリンピック委員会(JOC)にロンドン五輪女子代表選手ら強化選手15人が告発文を提出した.........というニュースが飛び込んで来てから数日経つが、この報道は益々加熱している。 わざわざ僕が、コメントするまでもないのですが、象徴的なお応えは、あるニュース番組で小西 克哉氏が触れたコメントが総てでした。 「サッカー女子なでしこ japan が一番のお手本でしょ。世界一に導いた佐々木監督は、ワールドカップ決勝の後の延長戦後PK戦になったとき選手を笑わせていた」。 自分より20cm、いや下手をすると30cmも高い、体重も倍ありそうな相手と闘った彼女たちに、普段罵声やビンタで強化し世界一に導けるはずがない。科学的に、そして人間工学的に無理だ。 これは僕の直感だが、今回内部告発した女子柔道選手達は、一昨年のワールドカップや昨年のオリンピックでなでしこ japan の活躍を観て感動し、同時に自分たちの受けているトレーニングの酷さ貧しさに愕然とし絶望したのだと思う。 |
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冒頭の写真は、次男の産湯シーン。産院から帰ってきて直ぐの画像だと思う。この画像を使うのは二度目で、一度目が「暴力の根元について」で、吉本さんが暴力について触れたことに関連して述べたコラムでした。体罰や、今回の暴力強化トレーニング、そして暴力一般を考えるとき、一番深いところまで落ちてくる人間考察が、吉本さんの言葉に含んでいる。 ちょっと振り返ってみたら、このコラム2000年にアップしていたものです。10年以上経っても僕の感想は変わりませんし、吉本さんの指摘も冴え渡っていると思います。 今回の問題は、一監督や教師など所謂指導者を処分しても根本的な解決にはならない。基本的な姿勢として、僕らが「暴力」が何処からやって来るのかをよく理解するところから出発しなければばめだ。これは可成り難しい。暴力の根源が出産にあるかどうかは別として、僕ら人間一般が、暴力的因子を内包して存在しているという認識はとても重要だと思う。 |
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洋画「レ・ミゼラブル」のヒットが評判になっている。『「レ・ミゼラブル」百六景』の著者(鹿島茂・明大教授)が、今なぜ「レ・ミゼラブル」が多くの人々に受け入れられているかを分析して次のように言っていた。「この作品のコンセプトは、愛は受けた分しか返せない」。 そうだよな~と納得。氏は、この映画がヒットしたと言うことは、この作品が人々の無意識にまで落ちっていった、つまり届いたということ。それは、今の人々、特に若い人達が、何れ作品に描かれているような貧しく厳しい時代がやって来るのでは・・・・ということをリアリティーをもって感じ始めているのではないかとも言っていた。とても穿った見方だと思う。そして、歴史的にほぼそうなっているとも仰っていた。 僕は辛うじてかすっていますが、いわゆる団塊の世代は、勝ち逃げ世代と言われている。厳しい競争社会を勝ち抜くのは確かに大変だったと思う。でも、社会保険、特に年金は払った以上に貰える世代だ。その点に関しては、勝ち逃げという表現が当たっている。しかし、歴史上人類が未経験な高齢化社会が間違いなくやって来るので、僕自身は、勝ち逃げ出来るほど甘くはないのでは・・・と感じている。 |
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衣食足りて礼節を知る・・・・逆に言うと、人はある程度生活する上で余裕がないとモラルを外れた行動を起こす方が自然ということ。愛を与えるにも余裕がないと、毎日の生活に追われて手一杯になってしまう。だからといって経済的に人並み以上に恵まれていても、愛とはおおよそかけ離れていて頓珍漢な輩も世の中には巨万といる。ほんと愛とは難しい有り様です。 「愛と暴力」が対で語られると言うことは、それぞれが真逆の概念であるからとも言える。暴力で受けた心の傷は暴力では治せないが、愛なら治せるかも知れない。。 暴力と言えば、僕は自分の親父に殴られたことが一度もなかった。一度だけ食事中(何をしくじったのかは覚えていない)箸を逆に持って頭をコツンと打たれたことくらいしかなかった。これは殴ったことにならないので、先ず一度も殴られたことがなかったと言える。なので、思春期のとき自分が意気地がないのは、親父が子供の頃殴らなかったからだ・・・・と都合の良い言訳を自分にしていた。 |
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「愛の言葉」..............初めてのPC によるCG |
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親父が亡くなって23年経った。なぜ子供を殴らなかったのかを思い返すと、親父は石川県の小松出身で google で検索してみると、予想通り「寺町」という地名がある。親父は小学校に通っているとき既に浄土真宗に入信していて、その時に両親を説得して入信させたという、まるで宮沢賢治ばりの熱心な仏教徒だったらしい。当然殺生は固く禁じられていたと思う。 その親父は、先の太平洋戦争に徴兵され歳をくっていたため第一戦には回されなかったらしいが、南方へ派兵され従軍した。そこで上官に相当酷い目にあったらしい。。らしいというのは、親父は先ず滅多に戦場であったことを口に出すことがなかったから。それでも、戦艦ではなく(もう武器も弾薬も食料も僅かだったため)客船を転用したものから敵陣に上陸した際、敵より怖かったのが目の前を横切ったオオトカゲだったと笑って話していた。 その酷い話というのは、帝国陸軍の規律は総て連帯責任という形でとるのが常で、戦地でとろい奴がいたんでしょう、全員並ばされて樫の木でこしらえた棍棒で「ケツを出せ!」とばかりに思いっきり殴られたという。 大抵は、7~8発で気絶するらしいのですが、僕の親父は、21ッ発まで数えていて、上官もフラフラになったところ22発目でその棍棒が縦に真っ二つに割れたのを機に許されたという。その後、夜中気付かれないよう水道水でケツを冷やしたそうです。でも1週間は便所でしゃがめなかったと言ってました。 |
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従軍する前は一滴も飲まなかった酒を、帰還した後は相当飲むようになったとお袋から聞かされました。謂わば、今で言ったら PTSD だと思います。忘れられないのが、べろべろに酔ったあと「うっー」と唸りながらアルミの洗面器を八つ(四つではない)に折り曲げたこと。恐らくやり場のない怒りを発散するにはこれしかなかったんだと思う。まだ小さかった僕には、当時全く理解出来ずに不安だけが残ったシーンでした。 思春期に入り、浪人することになって突然僕は本を読むようになり、お陰で何となく親父の奇行が理解出来るようになりました。虫も殺さないよう教えられた仏教徒の親父が、不本意にも従軍しなければならなかった状況は、何とも気の毒で辛い事実。どうやっても整合性は取れない。もう、酒を飲むしかなかったのでしょう。 更に気の毒だったのは、あれほど信心深い仏教徒だった親父が、定年後?よく枕元に聖書を置いて赤線を引いて読み耽っていたこと。今更仏教には戻れないだろうと思っていたのか、あるいは仏教そのものに不審をもったのか流石に聞けませんでした。 |
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僕が小学生の頃いじめっ子だったのは、こういった事情というか家庭環境からではと思うのですがどうでしょうか。まっ、大したイジメでもなかったのですが。。でも間接的にではあれ、戦争の傷は負の遺産として必ず伝搬と言いますか、違った形で接触した人間に刷り込まれると思います。僕の小学生の低学年の頃暗かったのは、先ずこの勢だと思います。 人は傷つきながら生まれ落ちる宿命だとすると、その記憶は相当なものだろうからリバウンドも半端じゃないだろう。 修験道などの行者が、修業と称して肉体を痛めつけることで精神的なステージを上げようとする行為は、もしかすると出産に起原があるのかも知れない。吉本さんが言うように、胎児が出産に伴う命の危機で受ける心のダメージを了解する(=肯定し許す)としたら、後にそのことを反覆することでその証を立てなければならないようなプレッシャーが、刷り込まれてしまっているのでは・・・・・・。そして、それを支えているのが「愛」では。 |
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インターネットラジオvideonews.com で、ゲストの精神科医・斉藤環氏が言っていたが、体罰という暴力は、明らかに効果がある。体育会系の人間なら理解出来ると思うが、「しごき」を乗り越えられた場合、そこには実存を充たすような感覚を持てる。これは、フィジカルを酷使するスポーツ全般に言える事実だ。 これは、明らかに幻想なのだ。だから親鸞は肉体を酷使することで得る充実感と、悟りを開くこととは、まったく別の次元のものだと気付き比叡山を下りた。でも、この幻想は肉体と精神の核に触れる事象なので、その構造を解き明かすのはもの凄く大変だ。僕が今のところ最も頷ける、無意識にまで落ちてくる回答は、やはり「胎児の出産時における苦痛が、暴力の根源」だとする吉本さんの考え方になる。それ故、暴力や体罰の根絶はないと思う。 確か、「母型論」の中で吉本さんが触れていたと思うが、もし人間が(胎児が)分娩時、母親も含め何の苦痛もなく出産を終えることが出来たら、人は死の恐怖から解放される・・・・・と。 この吉本さんの考え方を演繹していくと、同時に暴力からも解放されるのではないだろうかという考え方に行き着く。 夫が妻に奮うDVも、そこから逃げずに、それを引き受けようとする妻の心理も、その根源が出産にあるとすると、それまで不可解だった暴力を受けることの中にある正当性が、すんなり理解出来てしまう。そして、暴力とは愛の陰画ということも。 |
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そして今、何故キューピットが幼児なのかが理解出来た様な気がします。もっともそれは、ルネサンス以降のことだそうですが。 恋に落ちる矢を放つというイメージと、それを担うのが幼児であるということは、偶然ではあり得ないと思うので、人は昔から漠然とした出産と暴力のメタファーを持っていたと考えていいのでは。。そして、愛と暴力はセットで想起されるものではと思う。 |
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今回の大阪桜宮高校の事件は、体罰をする人間の心理も、体罰を受ける人間の心理も、両方を理解したうえで教育やスポーツ指導がどうあったらいいのかを考え直す良い機会を僕らに与えたと思う。そして、明治以降富国強兵の名の下で、体育が学校教育の中に組み込まれたことの不幸が、戦後70年近くたった今でも、軍国主義の亡霊のように付きまとっている。僕らは、敗戦から何も学んでいなかったことが、ここに来て露呈した。 大阪桜宮高校の、体罰を繰り返していた教師を応援する会が結成されたと報道は伝えている。ここでも日本人は「おまかせ」を選び、自主性より外側から強制的に指導されることを選んでいる。しかし、こういった流れを世界は見ているということを、オリンピック招致運動のなかでマイナス要因だと周知されたことは大きい。 体罰=暴力を受け入れる姿勢は、理屈では理解しにくい。それは、僕ら人間が暴力を拒否すると同時に、反転して暴力をどこかで肯定し了解する無意識が働くためだ。この一見矛盾する心理の萌芽が、分娩にあるとする吉本さんの指摘は、余りにも見事に暴力の根源を説明してしまうので、逆にそれ以外の説得力ある説明を探し当てないと何故か危険な気さえする。残念ながら未だ見つかっていません。 |
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なかなか愛の話にもっていけません;; 出生時に暴力の起原があったとすると、愛はそれを補完するものとして生まれたことになりますから、順序としては、暴力から語ることになるのが自然かも知れません。そして、愛は暴力のネガとして生まれたことになります。 吉本隆明理論を突き詰めていくと、どうしても理想的な分娩で苦痛なく出産した母子を想定したくなります。そこで生まれた子供は、死の恐怖も暴力の刷り込みもないことになります。もし人間が卵生動物、あるいは卵胎生動物で生まれるとしたら暴力の起原は何処か他にあると考えなくてはならないのか・・・・・いや、卵の殻をくちばしで割って、いき成り肺呼吸に移ることは、一瞬窒息するだろうから想像を超えて恐ろしく、苦痛を伴うと思われるのでこの考えも没。卵胎生動物も同様だろう。 キリストの愛にしても、この世が苦難に満ち、結果として暴力へと繋がることが多い故、どうしてもそこを愛で補完しなければならないと訴えているようにも思える。その意味で愛は常にネガだ。 愛を語ることの難しさは、その裏側に暴力的要素が張り付いているからで、その意味で愛そのものを抽出して語ることは無意味だと思う。 何だか運命論的な語り口で済ませてしまい、申し訳ないような気がしますが、愛はなかなか言葉にならないというのが本日の結論です。 ほんと、愛は難しいです。。 |
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